2009.11.22

自由帳、懐かしい響き。古本屋の店先にしっかりとした表紙に自由帳と記された冊子が置かれていた。210円、何を書いてもいいということである。

時々、意に反して、というか勝手に心臓がドキドキと速く動くのを感じる。これって何?

喫茶店の席はいつも端っこを選ぶのに、世の中では真ん中にいたいと思うのはどうしてだろう。

こんなにたくさんの人が、それぞれの意志で動いているのに、めったにいざこざを起こすことがないのは驚きだ。

おばさんふたりが、自作らしい小説についての合評をしている。誰もが何かを伝えたいと何かをはき出したいと思っている。

日曜日は笑っている。銀杏並木の大通りも、ショッピングモールも、公園も、日曜日は笑っている。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.21

おすすめの一冊

R0017599
R0017578
R0017611


「週間ブックレビュー」を見ていてあらためて思ったのは、おすすめの一冊を紹介するということは、自分の中で自分自身が好きなところを紹介するということではないかということ。この番組では、三人の書評ゲストが、それぞれ紹介する本について語り合うわけであるが、少し見方を変えれば、それぞれの人間性について語り合うということであり、それは、常に「おすすめの一冊」を通して行われ、使われる言葉は、穏やかで、けして攻撃的ではない。また、前提として、「本が好きである」という共通項があるために、仲間内的感覚もありながら、同時に言葉の選び方に対する一種の競い合い的な面もある。それに、本の紹介でありながら、気がつかぬうちに自分の背負っているものを吐露してしまうこともある。ここでは、意外と人生経験や学術的な習熟度よりも、感覚の鋭敏さが問われる。書評もまた、ひとつの表現であり、それは自らの人間性を賭けたものと言えるかもしれない。

また、そう思って見ると、見ている方としては、とっても楽しい。

僕の今おすすめの一冊は、・・・考えよ。


R0017617_2

ちょっとamazon地獄にはまっている。来月、再来月のカードの引き落としが怖い。


ティルマンズの写真を見ていて思ったのだけれど、海や川に入るとき、僕たちが服を脱ぎ捨てるのは、濡らしたくないからだろうか。より自然と近づくために、ありのままのこの世界と繋がるために服を脱いでいるとしたらどうだろう。であるならば、森に入るときもまた、服を脱ぎ捨てた方がいいのかもしれない。
・・・こんなこと考えさせる写真はすごい。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.19

不完全な旅

7


完全を求めて、僅かなミスが生じることは、ほぼ完全と言える。完全を求めて、本当に100%の完全を期待することは、危ういことだと思う。実際には、ほぼ完全を求めるために、完全を目指すのである。いつの間にか、人は、完全がこの世界に存在すると勘違いしているような気がする。

大切に掬い上げようとした水も指の間から零れ落ちてしまう。それでも、零れ落ちた水は、やがて雨となって私に降り注ぐのである。この世界に在る限り、完全に消えてしまうということはあり得ない。すべては、流転の中にあるのだ。これは、宗教的にではなく、確かにそうなのだと思う。


何より私は、不完全な自分を人前にさらけ出して、恥ずかしくも生きていくしかないのである。その覚悟をあらためて自覚することが、唯一、明日を新しい日として迎えることが出来る方法であるのだから。


名鉄の円い窓が、痛いほどに愛おしかった。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009.11.17

三桁の番号、一羽の鳥、コヒシイ

Nec_1731_2

机の奥から、ダイヤル式の鍵が出てきた。いくつかの三桁の番号を試してみたけれど、開かない。いったい僕は、この鍵にどんな数字を与えたのだろうか。鍵についての記憶と共に、自分自身の歩みを思い返してみる。それはまるで、過去という名のパズルのようだ。

だいぶ前に撮ったプリントの山を一枚一枚見直していて、空に鳶のような鳥が飛んでいる写真が引っかかった。その時は、とりあえずプリントしただけで、スルーしたものだけれど、見直してみると良いような気がする。雲さえないような、モノクロのグレーの空にシャドーになった鳥が一羽だけ飛んでいる。地上も写っていないので、いったいこれをどこでいつ撮ったのかがわからない。ネガファイルからこれを見つけるのは、相当骨の折れる作業だと思う。とりあえず、ほんとにこれが良いのかを確認するためにしばらく壁にでも貼っておこう。


コヒシイ

高校の時に数冊読んだだけの太宰治をあらためて読んでみたくなって本棚を探す。
新潮文庫の「走れメロス」に収録されている「富嶽百景」の冒頭に目を通す。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.16

Yuming 5years(1978-1982)

9月には帰らない
ハルジョオン・ヒメジョオン
残されたもの
ロッヂで待つクリスマス
かんらん車
りんごのにおいと風の国
ジャコビニ彗星の日
影になって
緑の町に舞い降りて
DESTINY
さまよいの果て波は寄せる
コンパートメント
水の影
雪だより
夕闇をひとり
A HAPPY NEW YEAR
DANG DANG

→discography
松任谷由実としての初期、9枚より。荒井由実時代はもちろん良いし、キリンのCMとかテーマソングをたくさん作ってた松任谷由実中期も良いけど、このあたりが一番切ない。特にアルバム「悲しいほどお天気」は、素晴らしい。「緑の町に舞い降りて」って、花巻空港で流れてるってほんとかな。ちょっとそれを聴きに行きたい気がする。でも、盛岡と花巻じゃちょっと遠いし、どうなんでしょう。盛岡なら、緑の新幹線(今もそうかな)で行く方が、便利じゃないかな?。あー、小岩井農場に行きたくなってきた。

この選曲は、何枚か出てるユーミンのベストより、曲を飛ばさないで聴けると思う。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.15

北陸らしい空

北陸らしい空だった。前に「オランダの光」っていう光と絵画の関係についてのドキュメンタリー映画を見たことがあるけど、低く重い空の隙間から差す少し黄色くって柔らかな光が黒い海に届く景色は、いかにも北陸だなと思った。その景色は、どこか自分の中にあるものを映しているようにも思えたし、また、ある人のことを思い浮かべさせたりもした。北陸らしい空、そんな空だ。これは、僕の先入観によるところが大きいのかな。

自分の弱さを自覚すること。そのことによって、景色の中の僅かな光の変化に気づくことが出来るし、植物や他の生き物たちの気配に気づくことが出来る。僕は、そう思うのです。だから、弱さを大切にしたいと思うのです。


雷鳥往復割引切符でとってもお得・・・だったはずなのに、また、やってしまった。帰りの切符を5人分まとめて紛失した。割引切符だったために、救済も受けられず、再度通常料金で購入。ほんとに近頃、駅で財布を落としたり、ネットで取った指定席の電車に乗り遅れたり、乗り継ぎの時間の読みを間違ったり、電車がらみのミスが多いのである。なんでかなあ、結構真剣に悩んできた。「持つカバンの構造のせいかな。」とか、全然方向違いの考えが浮かんだり。もっと気をつけないと・・・、でも、あんまりそんなことばかり考えているのもストレスというか、気が重くなるかな。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.13

フィルムの最後に残った数枚分を撮り切るために、いつものように祖母の大切にしていた庭に行ってみると、スズメが一羽死んでいた。スズメはいつも羽根をきれいにたたんで横たわっている気がする。小さな穴を掘って上から被せた土の色が養分を多く含んだような深い茶色で、それがとても悲しく思えた。この土の上に咲くバラの花は、淡いピンク色をしている。

天使には羽根がある。
僕には羽根がない。
きっと僕には羽根が必要ないのだろう。
でも時々羽根があればいいのにと思ったりする。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.12

錦繍

R0017548

壁に掛かる11月のカレンダー、紅葉する山の間を抜けて列車が走っている。ふと「錦繍」を思い出した。
人は、生きるということの意味を時に自然の景色から教えられる。北陸の山や海は、この週末どんなだろうか。あまりお天気はよくないようだけれど、母は、ホテルから送られてきた周辺の案内を楽しそうに眺めている。うちの家も、幸せ一杯というわけではなく、様々なことを抱えているけれど、それはどこか秋の景色のように思えて、そう思うと、もっとたくさんの秋を眺めたいという思いが強くなってくる。ベルもこの秋は、何やら物思いに耽っている。犬だって歳をとれば、たくさんのことを抱えているのかな。僕は、どれくらい人の抱える傷みを自分のこととして受けとめられるだろうか。いや、そんなことを考えるのは、思い上がりかもしれない。言葉には出来ないことを言葉にすること。言葉を言葉を越えて心に伝えること。選ぶ言葉一つひとつにどれだけ中心の思いを刻み込むことが出来るか。秋である、悲しいほどに秋である。



| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.10

9月には帰らない、ハルジョオン・ヒメジョオン、よそゆき顔で、コンパートメント、水の影、ジャコビニ彗星の日、緑の町に舞い降りて、DESTINY、さまよいの果て波は寄せる、DANG DANG、りんごのにおいと風の国、ビュッフェにて、夕闇をひとり、カンナ8号線、A HAPPY NEW YEAR、雪だより、ロッヂで待つクリスマス、静かなまぼろし、かんらん車

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.09

高蔵寺、金山、日間賀島

Nec_1692_2Nec_1702Nec_1709Nec_1704

愛知県の高蔵寺にあるBan photo galleryへ行った。駅から15分ほど、カーブした坂道を上っていくそのアプローチは、絵に描いたような「郊外の閑静な住宅地」だと変なところに感動しながら歩いていくと、秋の優しい陽が注ぐ一角にそれはあった。曽根陽一さんのやわらかな色の植物の写真も、その白い建物の佇まいも、あまり手入れが行き届いているとは言えない庭も、僕にはとても素敵なものに思えて、その庭で、昼食抜きで飲んだ缶ビールが殊更おいしく感じられた。ギャラリーの訪問者ノートにずっと前からネットで知り合いのOさんの名前を見つけ、旅先で偶然友人に会ったような気になったし、夜は、金山駅前の串やさんで、曽根さん、Kogaさん、Okuさんとじっくりと話せた。欲を言えば、世界の山ちゃんに行ったらよかったかな。
翌日は、Okuさん、Kogaさんと3人で名鉄に乗って、知多半島の先にある日間賀島へ。神島みたいなところをイメージしていたら、ずっと観光地化されていて、でもそれはちょうど適度な感じで、ちょっとタイプな場所かも。知多半島というと家からだと名古屋を超えて行くので、ちょっと遠く感じるが、それでも、名古屋まで1時間半、そこから1時間ぐらいだから、思ったよりも遠くない。ゆで蛸食べながらのビールは格別だった。また、誰か誘ってくれたら行きたいなあ、ひとりで行く場所じゃないような気がした。

帰ったら、注文していたユーミンのCDが届いていた。
いま、一番しっくりくる70年代後半から80年代初頭の作品の中で持ってない5枚。
紅雀、OLIVE、悲しいほどお天気、時のないホテル、PEARL PIERCE

R0017520

***
灯台の下で「君が好きだ」と大声で叫ぶ
その声は灯台の光ほども遠くまで届かない。
小石をひろって力一杯投げてみる
少し向こうの水面に広がる小さな波紋はすぐに消える。
僕がこの世界に、直接的に与えることが出来る作用はそれぐらいのこと。
それでも出来るだけ大きな声で、出来るだけ遠くまで、
そう思って、次のひと声、次の一投を試みるのです。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.06

先日書いた通り、明日から名古屋に行くので、どこか写真を撮るのに適したサンクチュアリな場所はないかなと、愛知県の地図をネットで見ていて思ったのだけれど、よくもまあ、海岸線をこれだけ延々と開発したもんだなあと驚いてしまう。まあ、そんな状態は、一部の大都市圏に限られるわけであるけれど、それにしても、これだけ地球の形を変えないと、今の僕たちの暮らしは維持できないんだなと考えさせられる。知多半島の下の方まで行けば、比較的そのままの海岸線があるのかな。今は、こうしてネット上で結構詳しい航空写真を見ることができるので、初めて行くところでも、その場所をイメージするのには便利である。家々の屋根が幾何学的に列んでいる様を眺めながら、さすがに写真では確認できないそこに暮らすたくさんの人々の日々を想像すると、まだ実際には行ったわけではないけれど、その重みを感じたりする。より豊かな暮らしを得るための開発と、人間の行いとして許される範囲との間に21世紀の苦悩はあるのかもしれない。しかも、世界規模ではもちろん、国内でも歴然と存在する地域間の格差による不公平感という問題も関わっているのである。
***
なんかこの文章、変。三つぐらいの論点をごちゃごちゃにしてる感じ。そう思って修正しようとしてもうまくいかない。どうしてだろうと考えると、ここで僕が言いたいことは、名古屋に行くということただ一点で、それをどんなふうに書くかということに迷っているからかなと思ったりする。???

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.05

木と僕の相対的な大きさの変化

僕の住む集落の神社には、大人が3、4人掛かりでやっと囲むことが出来るくらいの大木がある。まあ、それ自体、特筆するほどの大きさではないのかもしれないけれど、僕の身近なものの中では、「一番大きなもの」であるに違いない。
子供の頃は、毎日と言っていいほど、その下で竹バットと庭球を使って野球をした。ちょうど一塁ベースが、その木の根元で、いつの頃からかそこには蜂が巣を作り、僕たちの間では一塁ベース上に立つことが、ひとつの勇気の証のようになっていた。その頃も大きな木だなという意識はあったと思うけれど、特にそれ以上、その木に対して深い思いはなかったし、じっくりと見上げたりすることもなかった。中学に上がる頃には、その場所に用もなくなり、ほとんど足を踏み入れることもなくなった。
うちの会社は、神社と集落を囲むように廻らされた環壕を挟んで隣にあり、会社の行き帰りには、時々その木を見上げることがある。多分、奈良の大仏殿の屋根よりも高そうに思うその木は元気で、子供の頃と比べて、身の回りのあらゆるものが小さく感じられるようになった今も、その木自体が成長を続けているからかもしれないけれれど、ずっと大きくある種の存在感を伴って、僕には感じられる。きっとそれは、僕の中にある何らかの相対的な尺度の変化が作用しているように思われ、高く張り巡らされた丈夫そうな枝々を見上げながら、ちょっとかかとをあげて背伸びしてみたりするのである。
それにしても、あの木は、何ていう木なんだろう。植物の名前を知らないことをちょっと寂しく思ったりする。


恐るべし、金子兜太

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.04

詩画集

R0017512

本との巡り会いは、そのタイトル、表紙のデザインによるところが大きいと思うけれど、自分のものにしたいと思う強い動機になるのは、手に取って偶然最初に開いたページの目についた一文が、その時の自分と重なるかどうかだと思う。

昨日もらったお金を無駄に使ってしまう前に、ほしかった一冊の薄い詩画集を買った。この本の中で最初に目についたのは、「ひとの人生にとっての一日というのは、きっと、降りしきる雨の音のなかの一粒の雨の音のようなものだ。」という一文である。たった50ページ足らずで2500円もするその本は、相当に良いと思う。

人は、庭の木や街路樹が伸び広がると、当たり前のように「剪定」する。確かにそのことによって木にとってもメリットがあることかもしれないけれど、あるがままで在ることは、人にとって罪なことになるのかもしれない。

詩と絵の本、詩と写真の本、両方あるけど、詩と絵の方がずっと良いものが多いように思う。絵の方が、何かの部分で言葉に近いということかな。

長田弘、日高理恵子著「空と樹と」
61iemncc8rl__ss500__3

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.03

あかんなあ

僕は、やさしいのか、冷たいのか。
ほんとのところは、自分では判らないのが厄介だ。僕は、自分が正しいなんて確信を持てることはほとんどないし、言い争うことがとても苦手だ。それは、きっと今までの自分がした判断の誤りの積み重ねをわかっていることと小さい頃の家庭環境に起因しているのだと思う。でも、それがやさしいと言うことだろうか。きっと僕の中には、大きな欠落がある。そのことは、年齢を重ねる毎に鮮明になっていく。今まで出会ったすべての人に、「吉田康哉をどう思う?」と聞いてまわりたい気がする。「勝手にせえ」が、答えのモードかな。

ところで、いくら考えても答えが思いつかないとき、あなたはどうしますか?
それが数学の問題なら、飛ばすことも出来るけど、そうもいかないことならどうしたらいいのかな。

あかん、40過ぎの人間が書くことではない。まあ、でも、ちょっと残しておこう。


ハーフ、67が出た。
もうゴルフ完全にやめようかな。それとも、ちゃんと練習しようかな。問題は、オーバースイングとスタンス取り方のいい加減さだな。これって、もしかしたら、他のことにも繋がる根本的な問題かも・・・。

でも、自分を外して買った馬券は、的中。今日の唯一の+方向の出来事。


水の影 / 松任谷由実
今更ながら、ユーミンのCD持ってないの全部買おうかなと思ったり。
「U-miz」まででいいと思うけど。

すべての運命は、ただの偶然に過ぎない。
その偶然を最後まで運命と思い続けられたらそんな素敵なことはない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.02

pea coat

R0017502_2


ちょっと丈が短めのピーコートを買った。「made in U.S.A.」って、ブッシュ政権が終わって、やっと違和感が無くなった気がする。今日の気温なら着れるかな。着るイメージは、日本海からの冷たい海風が吹く海岸線を歩くとき。早く寒くなればいいのにと思ったりする。

明日は、取引先のコンペ。週末は、曽根陽一さんの写真展に行くため一泊で名古屋。来週末は、10年ぶりくらいに北陸へ両親と旅行。そうこうしているうちに、もう年賀状書かないとなあ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.01


「スプリングコートって、秋に着てもおかしくないのかな。」と秋にはいつも思うのです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.10.30

涙粒

ルイリュウ


Is it me or scenery or it or love?


頬に零れる一粒の涙も、
何れは海へと還るのか。
それとも、空の雲になり、
そのうち僕に降るというのか。


何かを守ろうとすれば、人は傷つかざるを得ない。人生は守るものばかり増えるものだから、だんだん傷だらけになってしまう。大切なこと、大切なことは、その傷を癒してくれる何ものかを持っているかどうかである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009.10.29

許容

某大手流通のPB商品の容器を作る話があり、容器を洗浄せずに内容物を充填しても問題が生じないということに対する保証の文書がほしいとのこと。最近は、何でもこういうものが必要になる。これは、ISOなどの管理体制のせいなのか、それとも何かあったときの責任転嫁のためなのか、どちらにしても、容器の価格なんて、商品価格に対しては、極めて小さな割合なのだから、この文書を提出したことで、消費者からのクレームがひとつでもあったら、商品全数を買い取りなんてことになったら大変なことである。大手企業の傲慢を許さず生活者優先という考え方は、間違いではないと思うけれど、それが、結局のところ零細企業に回ってくるのなら、それはどうだろうか。とは言っても、「何万本かのうちには、不具合もありますよ。」なんて言うメーカーはないわけで、もちろん、「この件に関する保証についての文書を出すことは出来ませんが、品質については出来る限りの努力の下に納入させていただきます。」という文書を出すことになるわけであるが、納入するたびにちょっとドキドキする取引になりそうである。それにしても、何に関しても逃げ道を作らせないというのは、如何なものだろうか。社会全体が、そういうことでギクシャクしてしまっているのではないのかな。ちょっと前のIBMか何かのCMで、お店でクレームを言ったら、回り回って自分のところに来たというのがあったように覚えているけれど、命に別状がない限りにおいては、社会全体がもうちょっと許容範囲を広げることが、精神的にも環境的にもいいのではないのかな。まあ、電気製品や自動車など多くの分野における産業の到達点では、ひとつのミスが人の命に関わるということも、同時に存在することはわかっているけれど。こんなこと書いたら、時代錯誤だって言われるかな。きっと、現在の技術の頂点は、僕の知らない高いところに行ってるんだろうな。


444 55566688833 99966688
これおもしろい。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009.10.28

ちょっと得した気分になる

ドコモの請求書を見ながら、なんか得なことってないかなと同封の案内など見ていたら、補助充電アダプタを無償でもらえるということがわかり、早速、携帯の修理上がりの引き取りついでにもらってきた。こういう案内もこまめにチェックしているといいこともあるんだなと思った。液晶が壊れてた携帯も、ドコモポイントで外装総取り替えしてきれいになってちょっと気分がいい。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009.10.26

mosaic

街路樹が、モザイクみたいに色を変えはじめている。
こんなに紅葉に気持ちがいくのは、今年が初めてかもしれない(桜の季節にもそんなこと書いた気がする)。こういうのって、やっぱり歳のせいなのかな。だとしたら、歳とることもちょっとだけいいこと。でも、このペースなら、60才ぐらいになったら、季節の変わり目ごとに涙してしまうかも。よく見ると、半分ぐらい落葉したもの、まだ青々としてるものとそれぞれである。多分同じ時に植えられた街路樹でもこんなに個体差があるのだ。早く紅葉するものとそうでないものは、どっちが良いの?早く老成する人とそうでない人、どっちがいいの?


Yuming with Tin-Pan-Alley-雨の街を
「どこまでも遠いところへ歩いてゆけそう♪」

| コメント (0) | トラックバック (0)

«WORDLOCK