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「境界のエクリチュール」 in Book of days

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2018.09.19

Summertime




映画「旅情」原題は、「Summertime」というらしい。昔の日本の映画関係者はロマンチストだったのかな。この映画は、やっぱり「旅情」というタイトルがぴったりだ。映画などでしかわからないけれど、ヨーロッパの人にとって、アメリカ人は自分たちとは少し違った特別な意識を持った人に思えるようだ。もしかしたら、アジアの人にとっての日本人もそれに近いのかな。子供の頃、建国二百年と話題になっていたのを覚えているから、アメリカはもう少しすると二百五十年になるのかな。それと比べれば、大きな違いがあるけれど、アジアにおける日本も、新大陸というか、新島みたいなものなのではないか。それはさておき、この「旅情」はなんとも美しい映画だ。中年のキャサリン・ヘップバーンが、とてもチャーミングで、その思いに共感する。赤いベネチアガラスのゴブレットが古い街並みの映像の中でひときわ映える。それはまるで、彼女の心臓の鼓動のようで、恋心に色があるとすれば、こんな真っ赤なのではないかと思える。恋は必ず終わる。終わらないとすればそれは退屈な日常である。汽笛は鳴り、汽車はゆっくりと走り出す。互いに伸ばした手は届くことなく、やがて別れの挨拶になる。掲げられたくちなしの花と振る手、そうして恋は思い出に変わってゆく。きっと大切なことは、その流れの中で最後まで相手を大切に思うことである。そうすれば、きっと終生忘れることにない美しい記憶になるのである。

夏の間中、疑問に思っていたことがある。なぜショッピングモールをはじめとしたあらゆる施設はエアコンを寒いくらいに効かすのだろうか。電気の供給が安定しているとはいえ、そういうこととは別にできるだけエネルギーを使わないようにすれば、原発もいらないし、景観を壊すような、あるいは次の公害の素になりそうな太陽光発電もいらないのではないか。エネルギーだけではない。プラスチックの使用やその他のあらゆる化成品の使用もみんなが少し意識を変えるだけで、そんなに不便なこともなく大幅に減らすことができるのではないか。どちらかといえば、今の政府は、無駄を省くというより、無駄なものを消費することを煽っているようにさえ思える。何だか経済モデルは、七十年代のそれのようではないか。確かに人口が減少しようとも、みんなが必要以上に消費し続ければ、経済は拡大する可能性がある。しかし、そんな社会は、幸せと言えるだろうか。豊かさが幸福の指標であったのも、それこそ七十年代の話である。みんなが慎ましく暮すなら、もっと小さな経済で持続可能にできるのではないか。アメリカが先頭を走り、日本をはじめとした国々がそれに追いつこうと必死で走り続けた時代はもう終わっている。何かそうではない方法を示すことこそ、日本に求められることであり、日本人が考えているような美しい日本文化があるとするなら、それは次の時代にうってつけのモデルと言えるのでは。日本文化をお金にかえることばかり考えずに、幸せにかえる方法を考えるべきなのではないか。

近頃なんだか色んなことを整理したくなる。出来れば、これからは「シンプル」に暮らしたいと思う。それには最低必要な分を知らないといけないわけで、そのために整理しているのかな。そんなに詳しいわけではないけれど、表計算ソフトを使っていると楽しい。

同じ人に同じ話をしない方法は、前にその人に会って以降の出来事を話題にすればいいのかな。漠然とした話をすると必ず同じ話をしている気がする。相手の人は、めんどくさいなあと思っていることだろう。あるいは、同じ話でも新しい展開があればいいのかも。一つのことを考え続けていたら、より解に近い話ができるはずだ。

ふと思った。誰にとってもたった一度の人生である。少なくても、他者による何の強制もあってはならないだろう。それはきっと、生物学レベルでも言えることだ。要するに他者を強制しようとするのは、人間だけではないか。それは、社会という言葉を用いて行われる。人は、「少なくても」自由でなくてはいけない。

(録画したものだけれど)矢沢永吉のライブが始まろうとしている。登場を待つスタジアムは騒然とした雰囲気である。それを見ながら思った。永ちゃんが好きだなんて、まっとうな生き方をしてきた中年が言ったら、本当に彼を心の拠り所にして長い間ともに生きてきた人たちに失礼なのかもしれない。彼らは、アウトサイドから社会の中心に殴り込みをかける象徴として「矢沢永吉」を崇拝してきたのではないか。ここにはまだロックンロールがその鼓動を打っている。それはまだ、矢沢永吉が社会に取り込まれていないことで実現していることなのではないか。僕にとっての矢沢永吉は、「YES MY LOVE」かな。

企業と企業の関係も、国と国との関係に似ているのかもしれない。個と個にそれを写し見ることはできない。

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2018.09.17

Charming

チャーミングという言葉は、和製英語ではなく、実際に英語で使われる言葉であるらしい。












九月は京都で週末を過ごしている。

京都には一年半ほど住んでいた。あと二年あるいはそれ以上住んでいたら僕の人生にはどんな作用があったのだろうか。京都に住んだことがあるけれど、僕は京都を何も知らない。僕の世界は、一乗寺と修学院と岩倉だけで、それも、数軒のパチンコ屋と村さ来と吉野家と弓道場だけで、他の何も記憶にはない。もちろん恋の記憶はあるけれど、それは今となっては輪郭を持たないあまりに不思議な記憶なのである。

京見峠から清滝へ。やっと京都一周トレイルのすべてのコースを歩いた。北山の倒木はすごいことになっている。トレッキングコースというよりまるでフィールドアスレチックみたいで歩くというより四肢の運動のようで自衛隊の演習にいいのではと思うくらい。

一周トレイル、まるで指先で辿るようにトレイルを歩いた。薄れた記憶の上書きをするように。まったく個人的な思いが森の中に続く道に重なっていく。その思い出の実感を得たいがために歩いたのかもしれない。

清滝で唯一機能している、バス停横の茶屋のおばさんは、3月から京バスの本数が極端に減ったと嘆いている。三軒あった旅館もすべてなくなり、寂しくなったと。実際、ビールを飲みながら、バスを待つこと一時間、大瓶と35缶を飲んだところでやっと嵐山行きのバスがやってきた。きっとこの茶屋も嫁いで六十年になるというおばさんが身体を悪くすれば閉まるのかな。河原町や祇園、嵐山の人出が嘘のようにそこには静かな京都が残されている。おばさんのネイティブな京言葉もきれいで、学生の頃友人の家を訪れた時に話したおばあちゃんを思い出した。

23、24も京都に行こうかな。

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2018.09.15

conservative




保守の問題点は、好く暴力と結びつくことにある。それは、民衆を抑え込む手段として必要になるからではないか。保守には、民主的な意味において、正義がない。よって革命と対峙するときに暴力の後ろ盾を求める。現政権が盛んに自衛隊の立場を高めようとするのは、外的危機を理由として、隅々まで統制の行き届いた「美しい国」のためにその統制手段を確かなものとするという側面を否定できない。権力が暴力と結びつく時、そこには自由はない。この場合の自由とは、現代社会におけるそれを言うのではなく、まさに人間としての根源的自由である。また、人権は次善のものへと移される。現在の日本では、中流は、保守を支持する。表層化した豊かさがそれを促している。中流は、有産階級であると錯覚し、あたかも守るべきものがあると思い込まされる。しかしその内実は多くのものを犠牲にして得た生きるに足るだけの豊かさに過ぎない。

生き辛さの質が少し前に比べて変わってきたのかな。社会の価値が変わったとも言える。何をみんな慌てているのだろう。人生は長くなっているというのに。豊かになれば、豊かさを守るためにぎすぎすする。豊かさというものが人を幸せにはできないということなのかな。

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2018.09.14

Cell




「戦後七十年、一度も行われなかった憲法改正への挑戦」と言う首相。何だか日本新記録への挑戦みたいでポジティヴな印象を受ける。しかしこれは、まったく一方的な、正義はこちら側にあるという考え方である。正義はあくまでも憲法にあるはずだ。もしどうしても改憲が必要であるとすれば、それは、憲法を私たちの現実に引きずり下ろすという行為に他ならない。理想に対する敗北、改憲にはそういう説明が必要なのではないか。その点において、石破さんの説明は、誠実な気がした。

詩人はきっと、言葉にならないことを言葉にしようとしているのだろう。だから苦しい。死ぬほど苦しい。写真家は言葉にできないことを写し取るという。カメラはとても便利なものだから。でも、写真で意思を伝えることはとても難しい。写真は言葉ではない。悲しいとか、楽しいとか、嬉しいとか、切ないとか、そういうあらかじめ記号化されたものを使って伝えることはできるけれど、それでは元も子もないことになってしまう。人間という半永久的な生命体であるとする。僕たちはその細胞の一つである。ほんのわずかな期間、小さな小さな役割を担わされた細胞である。

長寿社会における医療で必要なものは、新しい鎮痛剤なのかもしれない。

言ってもしょうがないことは言わないようにするに限る。ただ笑われるだけだから。退場するのが一番幸せだけれど、そうもいかないから、ただ唇を噛もう。きっとずれているのは僕だから。

昔は本を読むことは暇つぶしみたいなものだった。それが今は、意思が必要なことになった。もう何も知りたいとは思わない。

心が揺れることに弱くなった。乱れることというべきか。ただ、穏やかであってほしい。何もなく過ぎて行ってほしい。時が加速度を増すことは恐れない。何かがあるよりはないほうがいい。ただ寡黙に別世界を眺めるようにすべてのものの対岸にいたい。

日本のユニコーン、まあこれからかな。

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2018.09.13

不完全な思い

人を好きになるということは、自分で十字架を背負い、ゴルゴダの丘を登るようなことかもしれない。いざその十字架に磔になり、最期の時を迎えるに至って泣き叫んでしまう。要するにその最期に至るまでの過程は愛に他ならない。その時まで信じ、愛するわけである。そして、ついに自由を奪われ、唯一つの方向にだけ光の道ができるのを見た時、全てが完結する。殉愛、自らの思いに殉ずるのである。

僕はきっと、人生の中で楽をすることを選んでいるのだろう。それでもこれだけ苦しいと思うのだから、楽をすること以外を選んでいる人は、とてもとても苦しいのかな。つまらない話である。

こんな間延びしたままで人生を終えるなんて耐えられないことである。きっと最後の最後にどうしようもない切実さが訪れるのではないかと考えている。問題は、それで間に合うのかということだろう。僕には、自分をコントロールすることなどできない。すべては、外的要因、あるいはその刺激に反応するしかないのである。きっとこれから重要なことは、どれだけ失うかということだ。喪失の先にこそ、切実さがあり、切り返す力があるのだ。きっとこれからのそんなに長くはない期間に私はとても多くのものを失うだろう。それは、言うならば神の意思である。だいたい、五十を過ぎるまでこんなにのうのうと持ち続け、安寧の中に浸っているのは悲劇である。悲劇とは、喪失をいうのではない。喪失を知らずに持つ不満を言うのだ。

物語になる人生、一筋の道を辿るように何時間も何時間も言葉に言葉を重ね続ける。

生きたいという最も根源的な切実さ。

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2018.09.12

Living Will




黄色くなった穂を垂れた稲が肌寒くさえ感じる朝の空気にわずかに揺れる。もう既に特別暑かった今年の夏はその言葉どうりの記憶として残されるだけのものとなっている。考えてみれば、稲は、田植えから稲刈りまで、ちょうど四ヶ月、苗代からでも五ヶ月で実りを迎えるのである。

少し年下の人に出会い、何かを共にすることがあると、いつも「弟の生まれかわりかな」とか、「神様が僕を助けるために出会わせてくれたのかな」とか思ったりする。

心臓のあたりが痛くなることがある。その痛みを感じながら、心臓で死ぬのは、あんまり痛くないかもしれないなあと思ったりする。

ネガは、光を当てると投影する像は反転する。もしかしたら、心もまたそうかもしれない。いつの頃からか、社会はただただポジティヴな意識を人々に求めるようになった。それはまるで近頃の住宅の壁みたいに白くてきれいな意識である。昔流行ったちょっと暗い木目調の合板の壁が僕は好きだ。

やっぱりどう考えても、安倍さんの演説は好きになれない。内容はさておくとして、概念化済みの耳当たりのいい言葉を巧みに組み合わせて意味を転換させる新造語への疑いは当然として、キーワードを語気で強調するところ、政策成果のトピックス化、まるで広告代理店の提案そのままに新製品のプレゼンをする商品企画部みたいに鼻につく。全く、今の政治は、マーケテイングそのものではないか。国民は、政府にとって顧客みたいな扱いだ。それでいいのかな。国家と国民と為政者の正常な関係、国家、あるいは為政者が何をしてくれるかではなく、まさに私たちが国家に何ができるのかを考えれば、国民の役割も見えてくるかな。

もしかしたら、バブルとは違う形でこの国は狂って来ているのかもしれない。狂気さえ官主導で。

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2018.09.11

剥ぎ取られた夏




雨の日は、「雨ですねえ」と話を始める。

何かを産み出すほどの切迫感、あるいは切実さがない。

悩むとは、自己的行為である、自慰的とも言える。

化繊の服は高機能と言いながらも着てると暑い、あるいは寒い。服に限らず、現代は、あらゆるものが化学製品であふれ、もはや私たちはそのことに疑問すら抱かない。化学製品を排除した暮らしは不便かな。結構心地よかったりして。不便なことは概して気持ちいいことだったりするのではないか。

他人を幸せにする力を備えた人はいるのだと思う。きっとその人には、まず自分が元から幸せを備わっているのではないか。あるいはその内部で幸せを作り出す機能を持っている。そして、それを放出する機能も。

美人とは、美しい人と書く。そうはいないけれど、美しい人というのはいるものだ。美しいとは、なんとも漠然とした価値で、でもなぜかみんなが共有している(つもりの)ものである。美しくなりたい。それは何も女性だけの願いではないだろう。美しい人になりたい。ちょっともう遅いけれど、美しいじいさんも時々いるから不可能ではないかな。美しさにはお手本がいるかもしれない。人であったり、景色であったり、思想であったり、あるいは宗教かもしれないけれど、何かお手本がいる。

このところ思い悩んでいたことの理由がわかった気がした。私は、「もうやる気がないんです」とか「それはどうだっていいことです」とは言えないのである。それは即、社会への不参加の意思表示ということになるのだ。実際にはそういうつもりではないのだけれど、社会は常にその仕組みの一部となることを求めてくる。社会は巧みに組み立てられた仕掛け人形みたいなもので、傍観者を認めない。そういうところに身を置くことは、並大抵のことではない。

予備知識なくドラマを見始めた。冒頭、四人の女子高生がずっとずっと交換日記をしようと決める回想シーンがあって、現在に切り替わると菊池桃子が出て来て、次に蓮佛美沙子が出て来た。いくら菊池桃子でも、二人が同級生は無理があるだろうと思っていたら、菊池桃子はお母さんの役。年回り的にはおかしくないのだけれど、それはそれで違和感があった。それにしても、雑誌モモコで見ていた彼女、立派な人になったなあ。五十前後で、世の中にしっかりとした立ち位置を持つ人は、人間としてちゃんとしている気がする。ちゃんとしているとは、ちゃんとしているということであり、立派であるということだ。

自分では聞こえない音楽を作る作曲家、自分ではよく見ることができない絵を描く画家。実現できるのかもわからないことを考え続ける思想家。人々の暮らしには興味がない政治家。自分にすら興味を失った私。

リゾートホテルのベランダに腰掛け、風景を眺めながらビールでも飲み、タバコを吸うのは、至福の時間だ。どうにか、それをローコストで実現することを考え続けている気がする。一つ方法を思いついた水田の向こうにそびえる二上山を眺めるベランダを家に作ればいい、あるいは、家の近くに。週末はそこで過ごす。問題は世間体かな。日常の中では、何もしない人を世間は許さない。

このブログは、そのベランダみたいなもの、とも言える。そこから、呆気なく過ぎ去る夏を眺めている。

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2018.09.09

人生の秋




今年から書き始めた五年手帳が最後の年になる時には、五十八になる。まず最初に言えるのはそれまで生きているのかということ。次には、それまで書くことがあるのかということ。そして、繰り返された日常に意味は生じているだろうかということ。記憶は、苦痛を緩和するように作用する。記された苦痛は、その邪魔になるかもしれない。あるいは、それさえ、飽和するのが記憶だろうか。

気に入ったTシャツがあって、くすんだようないい感じのピンクとネイビーのがあって、若い頃なら迷わずピンクの方を買ったのだけれど、両方試着してみて、ネイビーを買った。どう考えても、ピンクがいいのだけれど、着てみると逆におっさん臭くなるのだから仕方がない。この世界のすべてのものは、動いている。それぞれの速度を持って。静止しているように見えるものも、相対的には動いている。その速度の相関性こそが、世界の仕組みである。この世界にビールがなければ、どうなっていただろう。5パーセントのアルコールと炭酸とある種の外的要因。それが、ビールだ。

街を歩くと秋色を身につける人が一気に増えた。考えてみれば、季節によって好まれる色というのは、風景と光の保護色なのかもしれない。



気のせいなのか実際にそうなのか、禁煙の場所が増えて、町もお店もきれいになった。時々、普通にタバコが吸える店に入ると壁や家具の汚れに気がつく。でもきっと、昔はみんなそうだったから、それが普通だったのだろう。六十になったらタバコをやめよう。あるいは仕事をやめたら。きっとそれで間に合うだろう。何に間に合うのかわからないけど。

車で「宗右衛門町ブルース」を聞いていて泣いた。父がいつも、飲み屋で最後に歌っていた。まあ、まだ普通に生きているわけで、きっとこれは、その時のショックを和らげるために、予期的に泣いているのだ。妹も近頃そんなところがある。葬式の出棺の時に流したら棺の中で喜ぶだろうか。歌詞がまたそういう時にぴったりな気がする。

「いちょう並木に 春が来る
君にも来るよ 幸せが
なぜかかなしい 宗右衛門町よ
さよなら さよなら もう一度だけ
明るい笑顔を みせとくれ」

親戚一同号泣だろうな。改めて考えると、本当にうちの父はいい人だ。僕は、父の遺伝子の何を引き継いでいるのだろう。思い当たらないくらいそれは希薄だ。妹は、考え方が、父そっくりだと思う。死ぬ前に一回くらいは、心から笑っている姿を見せないといけないな。でもまあ、親父がおじいちゃんと楽しそうに話しているのも見たことないかな。

父は、僕が奈良に帰って来た時、「お前のしたいことをやれ」と言った。それは、父の若い頃の経験からだろう。二十年余の時間がたって、したいことを何の形にもできていないとは、まったく不甲斐ないばかりだ。

秋の走り、今はちょうど秋雨の頃かな。夏の名残りの景色が、微笑ましくて懐かしい。

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2018.09.06

背伸びしてみる海峡を




一生の中で起こる出来事がみんなと一緒なら詰まらないとも考えられる。そういう観点からすれば、悩んだり苦労したり、あるいは憎んだり恨んだりすることも、それはそれでオリジナルだ。

先日買った五十三年前の「暮らしの手帖」をぱらぱらと読んでいて思った。雑誌はもっと普通のことを普通の文章で書けばいいのではないか。読者と筆者が同じ意識で会話をするように行が進んでいく。驚くようなこと、いや驚かそうとすることはそこにはない。

僕は結婚というものに人並みならぬ期待を持っていた。同時に子供の頃から、三十歳になれば死のうと思っていた。思っていたというよりは、熟慮の上、そう結論付けていた。その理由は、それ以上生きてもすることもなく、辛いだけであるということだった。今考えてみれば、その二つのことは、まったく僕の人生に必然性を与えている。そして、その通りであったのかもしれないし、そう考えていたからこそ、現実はそうなったのかもしれない。意思は、方向づけをする役割を持っている。その到達点は、それぞれであっても、間違いなくその方に向かわせることは確かではないか。

これだけ災害が立て続けに起こり、あるいは社会が人間に求めるレベルが高くなった現代において、何だか早くこの世とおさらばするのが一番幸せな気が本当にしてくる。かといって、僕の場合なら、三歳の姪は、きっと22世紀初頭まで生きるわけであるし、その子は、それよりも長く生きるということになる。想像できるのはその辺りまでであるけれど、そうやって、世代は引き継がれるわけで、何より大切なことは、継続可能な世の中を次世代に受け渡すことになるのかな。自分に子供がいる人ならその意識は、もっと現実的なものだろう。

私たちが驚きを持って眺める不思議な風景の多くは、まさに長い地球の歴史の中で繰り返されてきた様々な地殻変動によって形作られてきたものなのだろう。私たちが地震と呼び、あるいは災害とする出来事もその小さな一部に過ぎない。特に日本列島は、まだ新しいものであり、その動きが鎮まっていない場所ということになるのだろう。何万年という時間と何十年という人生、その重なりは、私たちにとってすべてであり、この世界にとってはまったく取るに足らないものである。タンカーが連絡橋を壊す画像を見て思った。自動車でいくら走ったところで、橋はびくともしないけれど、押し流されたタンカーがぶつかればあんなふうに破壊される。重さの相関関係、この世界のすべてはそのようなことによって形作られている。

「呼んでとどかぬ人の名を
こぼれた酒と指で書く
海に涙の ああ愚痴ばかり
港、別府 長崎 枕崎」
ええ歌詞やなあ。こういう人生を肯定する歌が今はなくなったのかな。少なくても流行らない。

目が見えにくくなったと言っても、他の人がこの世界をどんなふうに見えているのかはわからない。調べようもない。たぶん同じ人間なのだから、概ね、自分と同じように見えているという前提で考えているわけであるけれど、そこには何の確証もないわけで、それ以上は考えない。眼だけではない。聞こえ方や味の感覚、もちろん考え方だってそういうことだ。考え方については、どう考えているのかを話してもらえばわかるということになるが、そこには二次的思考が加わることになる。外見で人を判断することはできるけれど、内面を知ることはできない。ましてや、その内面が、外的要因に対してどのように反応しているかなどわかるわけがないのである。

「起きている間で一番長い時間を過ごす職場は何処より居心地のいい場所であったほうがいい」という考え方を全否定された。その人曰く「職場こそが厳しい場所であらねばならない。そうでなければ、その会社は先細りになることは間違いない。」おっしゃる通りである。まったくこの世界は、昔も今も変わりなく、生存競争の場である。あらゆる苦痛に耐え、幾重に連なる峠を越えて行かねば生存することは難しくなる。現代社会が、それを緩和しているようでいて、実は、昔とは違った苦痛に変えているだけのこと。私たちは、封建制の下に搾取され続けた中世、近世や、もっとずっと昔の原始における純粋な意味での生存と何も変わりはない世界を今生きている。そこでは生きることが苦痛なのではない。他者と自己の境界において、それは生じるのである。そして、同時に他者なしでは生存できない。よって生きることは苦痛となる。多くの人が、そこに絞って、問題解決を試みた来たけれど、その誰もが途中で挫折する。あるいは、絶望する。なぜか、人間という種の根幹を否定することになってしまうからだ。要するに人間は、個として存在する生物ではないからではないか。人間という生命体は、ある量の集合によって、規定されるものなのである。であるなら、集合として試みればいいということになる。それもまた、繰り返し試されている。

大衆という言葉があまり使われなくなった気がする。日本に大衆はいなくなったのだろうか。大衆という居場所、私たちはそれを奪われたのだろうか。

私たちは、シャッター商店街を町の衰退と結びつけて考える。けれどそこに不幸があるわけではない。植民地時代の西洋式建築がほとんど補修もされずにそのまま残る中南米の町並みにも同じことが言えるかもしれない。世の中は移ろう。人々も、町も、すべては移ろう。そういうことであるし、それは不幸ではない。

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2018.09.04

確率の花




いまでも20年前の規模でやっていたら、少しは儲かっていただろうし、給料ももうちょっと取れたかもしれない。そのかわり、ストレスは今の何倍もあって、自由はもっと少なかっただろう。そう考えると、これで良かったのかなと思ったりする。そして、これから、どうしていくかも、見えて来るかもしれない。責任を果たしながら自由でいること、とても難しいことだけれど、そうでなくては、生きていても詰まらない。広い視野と高い能力で、この世界の中で力を発揮する人もいるだろう。ただ、人生とは、複雑に相関したたくさんの事象の確率に支配されるものではないかと思う。よってその結果、世に出るということも、抗うことのできないほどの確率の下に決まるものである気がする。才能も境遇も、運や努力さえ、確率である。では、人生を主体的に生きるとはどういうことか。確率の支配下にはない価値を見出せばいいのではないか。

台風21号通過、トラックの幌が飛びそうになる。神戸や関空では浸水被害が大きいようだ。渡月橋も被害。虫の声が聞こえ出した。もう秋だ。

「五時間かけてふられにいくんじゃばかだよなあ」と三上博史。また、あと三ヶ月。今年ももう9月だ。とりあえず、ニューイヤーの志賀プリ予約する。

人間は、社会という殻の中で生息する甲殻類のようなものかもしれない。成長するには、その殻である硬く小さくなった社会を脱ぎ捨てて、新しい社会を作らなくてはいけない。それがうまくできないと異形の不具合を生じることになるのだけれど。

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2018.09.02

懐かしいなあ






ゲストハウスのある今熊野から適当に東山の方へと登って行った。どこかで一周トレイルに入れば、そこから北のほうへ少しだけ歩こうと思ったのだ。それがどうも道は蛇行しながらどちらかと言えば南の方に向かい、ピークを過ぎた頃には山科であろう町が見えてきた。仕方ないので1号線に出てまた京都方面へ戻ることにした。トンネルを越えるとやっと一周トレイルの案内板があり、将軍塚の方へと登った。途中で清水へと下りて、音羽の滝の茶店でビールとざるそば、頼んでから、気がついた、お金あったかなと。折り合えずお店を出ることにして、改めて財布を確認すると何とかその分ぐらいはあったので、また戻ると、店員さんが笑いながら「さっきの注文でいいですか?」と。いい年してちょっとかっこ悪い。音羽の滝にはいわゆるインバウンドの人がたくさん順番待ちに並んでいる。考えてみれば、日本の寺社というのは、うまいことアミューズメントパーク化されている。産寧坂から二年坂を歩いて、高台寺へ。庭を見ようと思ったのだけれど、また思い出した、お金ないのだ。引き返して八坂の塔がきれいに見えるカフェでカードを使って生ビールを一杯飲みながら、しばらく坂を登って来る人たちを眺めていた。これは気分転換になる。四条に下りて、祇園のライカギャラリーでお姉さんとしばらくカメラ談義。知らないうちにライカのデジタルは、フィルムライカと同じようなフォルムになっていた。でも、やっぱりデジタルカメラ使わないからなあ。一力の角にある何でもない喫茶店の入ると(ここでも一度入ってお金ないことを思い出し、近くのコンビニにお金をおろしに行った)、店員さんは日本人みたいな笑顔の外国の人で、あとで入って来たおじいさんがドイツ語で話しかけると楽しそうにドイツ語で答えていた。おじいさんは、昔駐在員だったのか、大学の先生だったのか。そんな光景を楽しく眺めながらアイスコーヒを飲んで店を出たところで、ちょっと佇んでいた。するとお店の人がタオルを持って来てくれた。また忘れ物をするところだった。なんか忘れた気がしてたんだよな。京都で一泊するというのは、ゆっくりしてなかなかいい感じだ。日常を忘れるというより、日常を引きずりながら記憶を照合する。




家に帰ると大学の弓道部から、寄付の礼状が届いていた。「吉田康哉先輩」この響には、なんだか痺れてしまう。遠い過去から届いた手紙みたいだ。それにしても、嬉しいけど同封の現役部員のピンボケ写真はどう扱えばいいのかな。領収書みたいなものかな。人数減ったなあ、これで勝てというのは無理だと思う。三部だっていいだろう。でも、もしかしたら、何も知らずに勝てとプレッシャーをかけるのがOBの役割なのかな。若い力を最大限に機能させるのは反発力だろう。

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2018.09.01

あゝ、京都




意味もなく、京都に泊まる。京都タワーが、JR線の向こうに見える場所。やっぱりもうちょっと真ん中にしとけばよかったかな。京都の風情を楽しむというより、小さな本屋で買った数冊の本に目を通しながら、今週の台風や仕事の心配をしながらフレスコで買った惣菜で酒を飲んでいる。あんまり気分転換になっていないな。

芸術家というのは、正気と狂気の境界で作品を残すことで、作家と呼ばれるようになるのではないか。要するに、精神の領域をわずかでも広げ、人間の可能性を高めることこそがその役割ではないか。それは、自己の破壊行為であるし、他者への敵対行為である。

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2018.08.31

I Know Where the Summer Goes




今では、イオンモールでぶらぶらしているお父さんの定番アイテムみたいになっている吉田カバンだけれど、代名詞とも言えるタンカーシリーズのセージグリーンが生産中止になっていることを初めて知った。ないと言われれば、俄然使いたくなる。自分のことながら、いやらしい性格である。

律と鈴愛のような人生の中で、今いる座標を確認できる異性の友人がいれば素敵だな。

妹と話していて思った。思い残すことはないけれど、少なくても、母より先に死ぬわけにはいかないと。それだけは守らなくてはいけない。今の時代に、二度も逆縁を経験させるわけにはいかないだろう。妹は、そういう生死に淡々としている。それはそれで彼女の境遇かな。

ソウルの街では、小さな花束を持って歩いている人をよく見かける。韓国の人は、明らかに日本人よりセンチメンタルだと思う。それは韓流ドラマだけのことではなく、現実にそうなのだ。花束を贈るのは、最も切ない思いの証だと思う。花は、たぶん私たちが知る限りこの世界で一番美しいもの、そして悲しいもの。その二つの意味を共有しようという行為ではないか。

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2018.08.30

日にち薬




生まれて初めて口づけをした陸橋は今はもうない。最初にそれを知った時には、まるで嘘みたいに思えて、しばらく空っぽになった空を見上げていた。いまでも時々そこを通るたび、その時のことを思い出し、その前に見た映画が「ブッシュマン」であったことに一人笑ってしまう。

鳩ぐるまとか、ソウルのキムミョンレさんが作った天使とか、舟越保武の聖ヴェロニカ像とか、他にも色々なそういうものをとても愛おしいと思うのは、僕だけが感じる特殊な、あるいはもしかしたら病的な心情なのだろうか。それとも、誰にも共通するものだろうか。

松雪泰子は、老いることを恐れていない気がする。

耐久レースにしろ、ディスタンスレースにしろ、やっぱりゴールは何らかの形で設けられなくてはいけない。ゴールのないレースは、消耗戦になってしまう。立ち止まり倒れ込んだものが負けでは、人生そのものである。

あと7年なら、2年、3年、2年と分割しよう。最後の2年は、惰性でいけるだろう。最初の2年は、今の続きで、真ん中の3年をどうするか。そこは今から考えよう。

外国のバスルームにある大きなひまわりみたいなシャワーヘッドが好きだ。たくさんの穴からちょっと弱々しく半ば垂れるように落ちてくるぬるま湯の下にいると何とも自由のようなものを感じる。

みんなカランダッシュのボールペンを使えばいいのにと思う。でも、僕が知らないだけで、もっと書きやすいものが他にもあるのかな。



改めて眺めると、京都って淀川に流れ込む南側以外は見事に山に囲まれた土地なんだなあ。そのすぐ東には、琵琶湖があり、北と西には巨大な山群があり、やっぱり、地の利としては、奈良よりずっと良さそうだ。ソウルに似ているけれど、よりコンパクト、都市としての巨大化は難しいけれど、それが今も京都らしさを守れている理由になっているのかもしれない。気分転換に一泊京都旅行をしようと宿を探したら、一人泊でも五千円の一棟貸しがあった。中心からは少し離れた七条の東の端ぐらいだけれど、ギリギリ京都かな。気分転換を繰り返しながら、七年を乗り越える。転換しすぎて、方角がわからなくなるということもあるかもしれないが、それもまたいいだろう。

「王だから味わえる喜び」というのは、「クィーンメアリー」の中の台詞。我が国の皇太子にも、少しぐらいは、そういうものを感じていただいてもいいのではないか。もしかしたら、天皇家のあり方は、まさに国民一人ひとりのあり方を映しているのかもしれない。

「夏、頑張った勉強の成果は、2、3ヶ月後に必ず出ます。」
ほぼ日五年手帳の下欄にあった言葉。

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2018.08.28

生きてる場合じゃない

涙を流して泣くことが、他者に向けた感情表現であるとすれば、一人で泣くことは、自分自身に対する表現なのだろうか。自己の他者化、外側にある悲しみの自己化。私たちは、理解不能なことを受け入れるために、一人で泣くのかもしれない。

家族のあり方や地域コミュニティの関係性は、想像を超えるスピードで変化している。生きることに他者が必要でなくなってきたことがその主因のように思うけれど、その変化に反比例するようにその重要性が叫ばれるのも不思議なことだ。かつては当然のようにあったつながりが不要であるとされながら、改めて、わざわざ新たなつながりを作ることも試される。人が一人では生きていけないものであるとすれば、それは、生態としてか、精神的なことか。労働、あるいは生産という生きていくために欠かせないことにおいて、私たちは今までずっと、必然的な社会を構成してきたわけである。そこには理由など求めるまでもなく、家族が、コミュニティが、そして社会が必要であった。しかし、21世紀は、その仕組みからついに人を解放しようとしている。

得るものと失うもの。生きているとその両方を繰り返し経験する。どちらかといえば、得るものには実感がなく、失うものだけが痛いほどの感覚を伴う。だから私は、失い続けると錯覚する。しかし、たぶん、失うためには得ることが必要だ。私が、この世界に現れたとき持っていたものといえば、この身体とあとは母とのちょっと面倒な絆ぐらいのものだ。後のすべては、得たもの。得たものだから、失うのである。忘れ物や落し物が多くなった僕だから、それはもうどうしようもない。

徹底的に嫌なことは先送りする。子供の頃から一貫した僕の生き方である。これを乗り切れば楽しいことが待っているなんて到底思えない。楽しいことの余韻で、嫌なことをなんとかやり過ごすという感じだろうか。こういう方法は、時間がかかる、あるいは無駄を増産する。時々思いついて、その反対の方法、嫌なことを先にやってみると、何ともうまくことが進むことに驚いたりする。でもやっぱり、それは続かない。

時々とても和菓子が食べたくなる。僕の場合、そういう時には専らスーパーのパン売り場の片隅に置かれたひとパック百円ぐらいの和菓子なのだけれど、これが何とも美味しい。味わいながら、日本人だなあと思う。まあ、こないだソウルで食べた伝統菓子も美味しかったけれど。

さくらももこさんの訃報を見て、生きている場合じゃないとへんな感覚に陥った。何とも長く生きてしまったものである。

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2018.08.27

悲しいことに弱くなった。




漠然と八十才まで生きるとか、あと何年生きるとか考えるけれど、実はそこでは何の結論も指針も見いだせない。もちろん一番やっかいなのは、それが何才なのか、何年なのかわからないことなのだけれど、もっと細分化してみればいいのかもしれないと思ったりする。例えば、五十五才という年齢は、もうすぐである。もうすぐと言いながらも、その短い期間でさえ、実感を伴うものではない。五十五才になるのは、再来年の五月であるから、月にすると20ヶ月ということになる。持っているものを二十で割ったりして、どんなものかなと考えるのだけれど、まあ、そんなことで何かがわかるはずもない。五十五まで20ヶ月ということは、六十までは80ヶ月、さらに六十五までなら、140ヶ月、何だか余計にわからなくなる。きっと子供がいれば、このような計算は、子供の年齢を元にするのだろうけれど、自分の年齢ですると、何となく経済的余命みたいになって滑稽である。長生きするためにはお金が必要だ。長生きはリスクとも考えられる。近頃なんだか、抗うという力が極端に減ってきた気がする。ただ緩やかな流れに身を任せながらなら生きていける気がするけれど、あちこちに岩が点在するような激流では、すぐにでも壊れてしまいそうな気がする。こういう感覚もまた、今までで始めてのことではないか。生きる力は自然と弱まっていくものなのだろうか。だからこそ死を恐れなくなるのか。恐れなくなるというよりは、その感覚が麻痺するというべきかな。淀むほどに緩やかな流れでいいから、岩のないところに流れていきたいと思う。うまく備わったエネルギーを使えなかったのかもしれない。だから、そろそろ枯渇してきたのだろうか。細胞の代謝は次第に速度を落とし、それは当然精神にも作用する。少し残っているお金があるなら、清らかで穏やかな流れを選ぶことに使えればと思う。

ここはひとつ、石破さんに頑張ってもらって、とりあえずは、安倍さん的方法論を打ち破ってもらいたい。石破さんの改憲論はより過激であるけれど、その立場からの正論である。誤魔化しではなく、正論をもとに国民が判断できる機会を与えてもらって、変えるにしろそのままにしておくにしろ、国民みんなが気持ちよく、新しい時代を歩めるようにしてほしい。それで、多くの人がいまとは違う日本の姿を求めるならば、僕もそれに従うことにしよう。

岐阜犬、まだ変換もネット検索もあんまり追いついてないのかな。僕らにとっての原田知世は、時をかける少女であり、真っ白なワンピースのウェアが似合う「私スキー」のヒロインだけれど、岐阜犬という世界が広がったのかな。「あまちゃん」の薬師丸ひろ子同様、角川さんは、長い目で見て、人を見る目がある。

今までで一番衝撃的なニュース速報を目にした。なんだか自分の人生も、次の段階に入ったのかなと思えた。もうタイムリミットは、過ぎているのかな。当たり前だったものがひとつ一つ消えていく。これからはそんなことを経験するのかな。

東ドイツ生まれの人が「生まれ育った国が今はもうないというのは寂しい」と言った。国への思いとは、単純なものではない。僕たちもまた、「生まれた国、日本」を失くさないようにしなくっちゃ。

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2018.08.25

迂回路








一周トレイル、北山二ノ瀬をスタートして、夜泣峠に登るところでいきなり通行止め、一時間近く急坂を迂回して元へ戻ると、今度はそこでコースを間違って旧ルートを大岩へと下りてしまった。また元へ戻ってやっと氷室。京見峠の山の家はせがわでハンバーグ定食を食べビールを飲んで右京区の町あたりに下りるはずが、またまた、迂回路の指示があり、そのままどんどん行くとなぜか周山街道の栂尾よりもっと北の中川というところに下りた。幸いJRバスの停留所があり十分ほど待つと京都駅行きのバスが来た。路線バスというのは本当にありがたいものだ。10キロちょっとのコースのはずが、たぶん15キロぐらい歩いたのではないか。なんだかしんどかった。一周トレイルも、残すは、京見峠から清滝までになった。歩いている間、出会う人はほとんどいない。京都の人はわざわざこの暑いのに山歩きなんかしないのだろう。あるいは山が好きな人はこの時期、もっと高いところに行くのだろう。それでも、山道を吹き抜ける風には秋の気配があった。

近頃、思い残すことが少なくなってきた気がする。数年前にはそうであったことも、いくつか叶った。あとは、もう一度弓を引くことかな。すぐにでもできそうなことなのに、なぜかできていない。明日、弓具店に行こうか。思い残すことがなくなったらどうなるのだろう。なんだか人生とは、自分の身体を用いて生体実験をすることのように思えたりする。

迂回路は、目的の場所にたどり着くためには有効だけれど、経験の代替えにはならない。迂回した部分は、改めて歩く必要がある。

人は節目が好きだ。「平成最後の・・・」という言葉が盛んに使われ始めた。「昭和の」という表現は、いまもよく使われるけれど、それは結果としてである。それに昭和という言葉には、戦争やその後の復興、「Japan as No.1」とまで評された経済のピークまで日本人の暮らしを重ね合わせて認識する効果があるように思う。また、憲法が規定するまでもなく、そのすべてを象徴する昭和天皇という存在もその善悪別にして印象深い。それに反して、平成と括られる時代は、バブルの崩壊から始まり、二つの大震災をはじめとする災害、オウム事件、繰り返された稚拙な政変などはあれど、国民のすべてが共有する時代感のようなものは乏しいのかもしれない。

戦後の日本に浸透していたものが自虐的歴史観であるとすれば、保守派論客と政権によってもたらされたものは自己愛的歴史観である。国民は、自己を愛するように国家を愛する。そこでは、日本という国の像は様々で、理想などなく、ただただ、自らを国に重ね合わせることで愛国であると錯覚する。政権が作り上げようとするものは、まさにそれに適した虚像である。

いま三国志のドラマを見ていて改めて思った。「君が代」とは、天皇陛下万歳という歌である。教育現場で、国を代表するスポーツ選手が輝かしい表彰台の上で、それを強制されていいのだろうか。昭和天皇は、国民が歌うこの歌をもしかしたら恐怖の中で聞いたのではないか。僕には、すべてを天皇のせいにしようとする呪いの歌のように聞こえる。

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2018.08.24

冬休みの予定




死んだことがある人はいない。死んだことがあると言う人はいるけれど、きっと妄想である。ということは、死は経験ではない。言葉に置き換えられたあらゆる人生の節目の中で、唯一死だけが経験ではない。

カレンダーをめくってみると、年末年始は、普通に休んでも九連休になるようだ。実質賃金は、やっぱり相当上昇しているということになるのかな。これだけ休みが増えても、日本の豊かさに変化がないとすれば、経済の方向性も大筋間違ってはいないということになるのかもしれない。間違っていることがあればそれは、再分配の方法である。

「人は皆いつか死ぬ。大切なのはそれまでどう生きるか。」

簡単なことかもしれない。真実などこの世界にはない。けれど、真実を探すこと、真実について考えることはできる。

「今思いついたことを忘れてしまう、昔のことはよく覚えているのに」という。でも実際には、昔のことはもっと忘れている。覚えていることなど、大海に浮かぶ小島くらいのものだ。それだって覚えているわけではない。繰り返し思い出しているのだ。繰り返し思い出すことを、私たちは記憶と言う。

9月1日から、年末年始の予約が始まるという案内がプリンスから届いた。今年は雪が多いのか少ないのか。どちらにしても、お正月に志賀高原に雪がないということはあり得ないわけで、それもまた不思議だなあと思ったりする。カレンダーをめくると一週間ほどずっとスキー場にいることさえできる休みになるようだ(許されればだけれど)。そんなことできるのは、最後のチャンスかも(近頃よくそう思う、それは自分に対するいい言い訳になる)。「私をスキーに連れてって」の30年後の物語とかあればいいなあ。沖田浩之がいないのは残念だけれど、みんながそれなりに年をとって、結婚している人やそうでない人がいて、いろんな道を歩んできてそれぞれに悩みを抱えながら、久しぶりにあの頃とは様変わりしたスキー場に集まる。ありがちな物語でいい、要するにスキー場を舞台にした話を見たいなあと思うのである。



先日作ったコンタクトを外した時用メガネは、それなりに使えそうだ。周辺は相当歪んで見えてクラクラするけど、まったく見えないよりはマシである。これで夜行バスに乗る前にコンタクト外せるかな。

六十までは頑張ろうと思って、六十で死んんだら、どう考えればいいのかな。今日を精一杯生きるなんて、僕には、遺伝子レベルでできないことだ。人は何かに引き寄せられるように、導かれるように生きるのだと思う。その何かは、それぞれ違って、遠いものであったり近くのものであったり。蝶は、飛ぶコースが決まっているのだという。それがどのように決まるのかは忘れたけれど、人間も意思で動くのではなく、何かどういうものがあるのではないか。意思とは、あくまで反応である。

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2018.08.23

カルピスの濃度




ソウルに行くのと同じくらいの費用で、ニューヨークには行けない。パリにもロンドンにも、ベニスにも行けない。沖縄には行けない、北海道にも、岩手にも。仙台には行けるかもしれない。信州はどうかな。東京は同じくらいかな。京都ならそれなりの旅館に泊まれるかな。伊勢。山口、新潟はもうちょっとかかるかな。台湾には行けるかもしれないけどあまり興味がない。スキーに行くのと韓国に行くのは、僕の中では似ている。そう言えば、この夏は海水浴をしようと思っていたのにせずに終わった。こないだインチョンで、イスラエル人のお父さんに誘われた時に一緒に行けばよかったな。今年の秋には三連休がたくさんある。熱の溜まった身体を冷やすように吹く風の感触を想像する。どこの風がいいかな。そう考えると東京ではないかな。静かになった海辺、あるいは、想いを冷ますように足早にやって来る秋の町。

この秋は生きているだろう。冬もたぶん大丈夫かな。春までの距離を考えれば、確率は少し下がるだろう。次の夏といえば、常識の範囲内で生きているということかな。とりあえず、子供の頃のように、未来はほぼ確実に存在するものではなくなった。それは悲観することでもなく、まあそんなものだ。季節の移ろいの絶対性は、あくまで私に比してそうであるということ。それ以上のものではないだろう。要するに周期の大きさの圧倒的な差でしかない。

五倍希釈といっても、それを測って作っている人はいないだろうし、氷の分をどう考えるかという点においても、曖昧さが残る。甘さを感じる方がいいのか、水に近いくらいでいいのか。カルピスウォーターが目安になるのかな。カルピスの感触、包み紙を破る時の、プラスチックのキャップを開ける時の、最後にちょっとだけ残った分で作る薄くて水っぽい口当たり。初恋の味とは甘酸っぱいということかな。なぜ初恋は甘酸っぱいと形容されるのだろう。実際には痛々しい、あるいは空虚なという気がしたりする。胸が潰れるようなかな。なぜ恋は息苦しいのだろう。恋とは切迫感である。いてもたってもいられなくなる、何かが壊れることでやっとそれは収まるのかもしれない。

奈良県でも大きな被害の出た台風は、10年ほど前と記憶していて、実際、そんなふうに話をしたりするのだけれど、本当はもう20年前になるようで、まあ、なんとも記憶というのはいい加減なのもであるし、月日が流れるのは早いなあという感じである。今から思えば、あの時は、ライフラインが数日途絶えたし、ロードサイドの大きな看板がたくさん倒れ、いたるところの屋根はブルーシートで覆われていた。まだネットも創成期であったから、情報が瞬時に共有されたわけでもなく、ある面ではのんきだったし、反面、対応が遅れていた。でもあれくらいでよかったのかもしれない。今だったら、取引先から、対処法をせっつかれるだろうし、のんきに暗闇でバーベキューなんてしている場合ではなかったかもしれない。困ったなあなんて言っている暇もないのではないか。

いいポートレイトを撮るためには、写真屋さんがそうするように、ファインダーを覗く前にまず自分の目でその人をよく見て、必要ならば細かな指示をするべきなのだろう。ただ、世の中にはどう撮っても、素敵に写る人、素敵に写る家族というものがあるのではないか。写真において一番重要なことは、そういう人に出会うことである気がする。

看護婦さんやお医者さんは、街を歩いていても、電車に乗っていても、いつももしもの時のために身構えているのだろうか。ドラマや映画では、「この中でお医者さんはいらっしゃいますか?」というのはよくあるけれど、実際にそういう場面に出会ったことはない。「透明なゆりかご」を見ている。医療に携わるということは、たぶん最も直接的に他の人生に関わる仕事だろう。僕はその道に進むことを考えたこともなかった。いやまあ、それ以前に学力の問題があったわけであるが、医療というのは、究極に「人が好き」でなくては務まらない仕事ではないか。このドラマを見て、産科を志す若い医学生が少しでもいればいいな。

日本人は、古代を考える時、大陸や半島との交流という視点を持つのが一般的だ。しかし、いくら近いといっても、当時の航海技術からすれば、「行き交う」ことはとても困難であったに違いない。僕は、交流ではなく、ほぼ一方的な方向性を持った移動だったのではないかと考える。明治以降に作られた歴史観が、いまも強く影響しているのではないか。中国や韓国の歴史書を都合よく読んでいるところがある気がする。慶長の役は、韓国の歴史書にも残されているようで、それは確かなのだろうが、当時の日本は、世界でも稀に見る軍事大国であったらしい。日本はずっと、他にはあまり例のない武官が政治を司った国である。

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2018.08.21

初恋の味

世界で当たり前のように活躍する若い世代のスポーツ選手が増えたのは、幼い頃から英才教育を受けた世代であることが大きく影響しているのだろう。世界のトップにたどりつくためには、始動を早める必要があるということかな。彼らは、十代のうちにすでにたくさんの経験を積み、世に出る頃には、熟練の妙技と老練の精神力を備えている。ただ反対に、この場合には、親の方針が大きく作用することになる。本人が何をしたいか、どんなふうに生きたいのか、を判断する前にそれは始まっている。そういう面からすると、別に世界にたどり着けなくても、本人が判断できるであろう十代前半ぐらいからのスタートでいいのではないかと思う。いかに大人が関与しないか、それが教育の一つの指針である気がする。それでは何においても競争に勝てないのも事実なのだけれど。ちょっとでも前にスタート地点を作ってあげたくなるのが親心かな。

昔の人は、生き残った人である。それは健康面からも社会的状況からもそうなのではないか。反対に今に生きる私たちは、死んでもおかしくなかったのに生かされているという感じではないか。

この世界は、自己とそれ以外のすべてのものとしての他者でできている。同じように、此処と此処ではない場所でできているとも言える。

大阪桐蔭は空気が読めないのだろうか。それが高校野球かな。奇跡の大逆転も、痛々しいワンサイドゲームも同様に高校野球だ。それにしても、この形式美が、21世紀に維持されているというのは、すごいな。

年に何度か、とてもカルピスが飲みたくなる。子供の頃の口に含んだ時の感覚が蘇ってくる。コーラにも同じことが言えるかな。

夕方、宇陀のあたりだろうか、山並みの上に虹が出ていた。

「始めるってことはええことや。」

コートを着て歩くような時期にソウルに行きたいな。

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