2009年7月 3日

日々、たくさんのことを想像する。

「勇気を出して言わなきゃ何も始まらないと思って言ってたら、言わなかった方が良かった結果になった。」ということを想像しながら、言わなかったことを後悔する。
*
全く人生とは切ないものである。
*
ということを想像した。
*
想像することは、最後まで誰にも許されている幸せである。

::
「毎日、雨降ってるなあ。」と思いながら、雨の写真なんて撮ってない。
きっと、それは、想像力の欠乏ということだ。

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2009年7月 2日

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真理とは、如何なるものか。
絶対的な真理を見つけたと思うところから、人は失敗する。その真理と思うものに頼り、他を見なくなった時に危うさは生まれる。無二の真理などは、この地上のすべてのものが、少しずつ変化し続けていることと同じように、存在しないと考えることが大切である。もちろん、それを乗り越える真理はあるかもしれないけれど、それは到底人間に与えられた能力ではたどり着くことの出来ないものではないか。風や雨にさらされて、海も山も河も多様な生き物たちも、その様相を柔軟に変えていくように、私も変化しなければいけないし、真理(のようなもの)に縋ってはいけない。無二の真理などと呼ばれるものを疑わなければいけない、恐れなければいけない。
これは、大げさなことのようでいて、日々に点在することである。

マクドナルドがやってる「日本バラ色計画」。このTシャツ欲しいなあ。クォーターパウンダー食べ続けるかな。
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今日、ふと右側の頭が重いなあと思った。重いとは、痛いとかじゃなくって、文字通り重いということ。どうも僕は、頭の右側の方が重いような気がする。触ってみると頭蓋骨も右の方が大きいような気がする。で、ネットでちょっと調べてみた。右脳、左脳。診断テストがあって、それをやってみると、「あなたは左脳派、理屈っぽい」とのこと。どうも、重さや大きさには、関係ないらしい。

バームクーヘンを二日続けて食べた。一日目は、近所の比較的評判のいいケーキ屋さんのもの。二日目は、結構人気のある近江八幡のたねやのもの。やっぱり、人気があるのには、理由があるのかな。たねやのものの方が、断然美味しかった。


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2009年7月 1日

I don't know that I don't know.

すべての愛は、自己へと向かっている。
しかし、それを否定的に考える必要はない。愛は、いつも「こちら」に向かっての思いである。例えば、刃を向ける者を愛せるか。目を閉じて、その刃をこの身に受け入れることが出来るか。「出来る」と考える人もいるかもしれない。ただ、それは、刃を向ける者への愛ではなく、受け入れる自分への愛である。その愛は、価値と言い換えることが出来るのかもしれない。また、それを常とするならば、思想と言えるのかもしれない。それでも、最後の最後に、頼ることが出来るのは、愛なのである。

録画しておいた陸上の日本選手権を少しずつ見ている。
今となっては、陸上競技は、極めて純粋なスポーツなのではないかと思う。他のメジャーなスポーツに比較して、幼いときから英才教育を受けることなく、学校体育の中で、速く走ることが出来る、遠くまで飛ぶことが出来る子が、その素養を伸ばし続けることで競い合っているという点、勝利の延長線上には、うまくいけば指導者という立場はあるかもしれないけれど、基本的には、何の職業的保証もなく、また、現役時にも、その特殊な能力への対価が少ないという点においてである。
また、世界レベルの華やかな大会よりも、日本選手権においては、よりそういう面における美しさが際だつ。大きなスタンドには、関係者以外の観客は疎らである。選手達は、ただただ、自分の持てる力を最大限に出すことだけを考えて競技する。そこには、後付けの理由など存在することなく「より速く、より遠く、より高く」ということだけである。
高校の体育祭の時、国体出場経験のある先生が、トラックを走るのを見て驚いた。まったく僕たちとは次元の違うスピード、言葉通り、飛ぶように進んでいく力強いフォーム。テレビで見るとそれを実感することは難しいけれど、勝った喜びや敗れた悔しさの表情は、演出された光の中の世界レベルの大会のそれよりもリアリティを感じることが出来る。
100mを10秒で走る。8m向こうまで飛ぶ。7kgあまりの鉄の玉を15m投げる。あと1cm、あと1/100秒、誰よりも速く、誰よりも遠く高く、ただそれだけのために。物語など入り込みようのないシンプルさ。それでも、見ている側は、感動する。そして、その感動は、華やかなものではなく、とても素朴な感触を持っているところが素敵だと思う。

「私は、知らないことを知っている。」
せめてそうでありたいと思う。でも、ついつい、知っていると思う。または、知らないことを知らない。なぜそう思うのだろう。きっと、人は、知っていることを自覚するように出来ているのだ。だから、知らないことは、自覚することなく、意識の外に置く。それが、生きることには都合がいいのだ。がしかし、深く考えていくならば、知らないことを知らなければいけない。なにしろ、この世界には、今のところ限りがあるとは思えないのだから。

突然の雨、何でこんなに、突然、激しい雨が降るのか。南国のスコールとは、こんなものなのだろうか。それなら、やはり、気候の異変で、日本列島が熱帯化しているということか。それとも、地球の回転軸が、ほんのちょっとだけ、ずれたのかな。40年あまり生きると、自分の人生の中で、地球の変化もほんの僅か感じることが出来るのかな。

7/1付の日経の記事をハサミで切り取った。こんなことするのいつぶりだろう。
「ウルトラミラクルラブストーリー」を監督した横浜聡子さんのインタビュー。
彼女が答えているように、僕も「時計じかけのオレンジ」を見たとき、意識の底にあるものが、ざわざわした。が、それっきり。きっと、物事に対して、一次的に反応できることとそれを自分の中で増幅させることができることを才能と呼ぶのだろう。そして、その映画を作ったスタンリー・キューブリックからするなら、横浜さんが、2次的、この新聞記事を読む僕は、3次的に感動していることになる。最近、年下の人に教えられることが多くなった気がする。  

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2009年6月28日

I know that I don't know.

日曜の朝、早く起きたので、愛について考えた。
混沌とした視界の中で。

「愛」という字は、バラの花に似ている。
愛は、いつも多くの修飾語を重ねて語られる。
愛って、いつからこんなに使われ出したんだろう。
昔の日本で、日常的に使われていたのか。
それとも、キリスト教の影響かな。
愛とは、理性の下にあるのか、本能の中にあるのか。
働き蜂にあるものか、女王蜂にあるものか、それとも蜜のことか。
愛という字は、街に溢れている。印刷物に溢れている。
だから、この世界は愛に溢れている。それとも愛を欲している。
「愛している」って、僕は今まで、誰かに言ったことがあるかな。
「愛」という字は、絡めたふたつの手の形にも似ている。
求め合うときのそれらに。

言葉と実世界の相関性は、僕たち自身の仕業である。


最近、続けて、久しぶりに会う人に、「歳取ったなあ」と言われた。
まあ、確かに歳取っているのだけれど、そう改めて言われると、ちょっと切り返すことが出来ずに、「・・・」となってしまう。客観的に見ると、年齢にしては、目尻のシワが深いかな、ちょっとおつむが・・・。女性は、アンチエイジング流行のようだけれど、いいんじゃないかな、立派なおじさん、おばさんになれば。それでも、愛について熱く語ればいいんだ。

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2009年6月27日

夜 マッテイル。

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みんなが帰ってくるまで、外でマッテイル。
今晩は、両親と妹は旅行、いつまで待ってるのかな、門の方をじっと見ながら。

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2009年6月26日

マイケル・ジャクソンは死んでしまったけれど

東国原知事のやり方を見ていて、その良し悪しは別にして、物事を大きく動かす方法というのは、こういうものなのかなあと思った。ダイナミズムを持った策、リスクを取っているようでいて、実は周到な計画。こういうの自分がするとしたら、苦手やなあ。でも、出来ないとだめなんですよね、生きていくためには。実直なこと、清潔であること、純粋であること、それらは、人として、とても大切な要素であることに違いはないけれど、売り物にしてはいけない。それこそ愚の骨頂というやつだと思う。そういうことは、自分の奥底に沈めて、この世界という海原に帆を揚げ、自由自在に滑るように船を進める操舵技術こそ、持ち合わせなければいけない才能なんだろうな。逆に言えば、近頃の自民党の政治家は、先に挙げた三つの要素を売りにしているんじゃないのかな。実際、それでも、選挙を楽勝で切り抜け、周りからは、毛色の良さで持ち上げられる人が増えているということかな。何より格好悪く見えるのは、衆議院選が目の前に迫ってきたために、選挙での優位を探って、急にいろんな動きを見せようする人達であると思うけれど。政治家は、やっぱり政治家を職業にしてはいけないのだと思う。

天才に恵まれた人は、同時に少なからず大きなコンプレックスを自覚して、それと戦うエネルギーによって、アウトプットを維持しているのかもしれない。そして、それはどこかの時点で破綻を招き、爆発してしまうのかも。人生は、何歳まで生きていれば、元を取れるものなんだろう。まあ、それは、人それぞれなんだろうけれど、いくら多くの優れた楽曲を残したとしても、死は、自らの消滅に過ぎない。「はい、それま~でえよ」である。そう考えると、生きるということは、ただひたすらに消費するということなのかな。ひとつの個体としては、きっとそうなんだろう。ただ、家族、仲間、人類というふうに考えるスケールを広げれば、創造と考えることは出来ることになる。あとは、その間のどこに自分の気持ちを置くかということなのかな。

子供の頃から、走るのが速い女の子は、無条件に憧れの的だった。校庭に引かれた石灰のラインの上で、まるで音符のように彼女たちは、跳ねていた。

何年かぶりに小岩井レーズンアンドバターを食べた。口に入れるやいなや甘く溶け出していくこの感触は何だろう。今まで、パーティーとかでしか食べたことなかったからよくわからなかったけれど、これは至極の味ではないだろうか。

「光州5・18」を見た。ほんの30年足らず前に隣国で起きた出来事。本当のことは、僕にはわからないけれど、同じ国民同士が争い、たくさんの人々が亡くなったことは確かだろう。人は、何かの拍子に大きな間違いを犯すものである。それは、狂気の元に起こることかもしれないし、正気の判断によるものかもしれない。銃の前に人は無力である。それでも、世界中、今までにたくさんの人が、それに立ち向かった。僕たちは、何のために戦うのだろうか、戦うしか生きる方法はないのだろうか。一目惚れをはじめて実感した、イ・ヨウォン。これって、おばさま達が、韓流にはまるパターンかな。LeeYoWon. 이요원。韓国の人の名前って、アルファベット表示すると素敵だなと思う。もちろんよくわからないけど、ハングルもキュートな文字だと思う。

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2009年6月24日

Happy Sad

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お腹が空いても、初めて見たチェックの服を買わずにいられないなんて、素敵なことだ。

戦争にいって、戦えなくって精神病院送りになるなんて、魅力的。

バラ色って何色?薄いピンク色。

マービン・ゲイを聴いていて、LOVE=SEXな気がしてきた。きっとほんとはそうなんだろう。

Happy Sad

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2009年6月23日

仏像というのは、人間にとって、理想の死の形状化なのかもしれないな、とふと思う。

世の中を変えられるのは、実業家でも研究者でも芸術家でもなく、
やはり政治家であると思う。

ということは、悪い方に向かわせるのも、政治家であるということである。

苦手だった冒険映画が、すごく好きになってきた。
ディテイルのない正義、目的としての秘宝という仮の真。

僕は民衆か、ならば、反省しないといけないことをたくさん内在している。

ゲリラ雨。

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2009年6月22日

雑貨屋で買ったカバーCDに入っていたこの曲が妙に気に入った。

こっちは、もっといい感じ。こんな曲ヒットした記憶が無いなあ。
東京ディスコナイト

モータウン系の曲には、結構日本語が乗るのかな。

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2009年6月20日

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愛国心とは、教わるものではなく、自分を育んでくれた景色や人々のことを思い感じるものであると思う。愛国心を醸成するために国旗や国歌を制定し、それを教えたとしても、それは、自国と他国という区別を理解することにしかならず、弊害として、無根拠に自国を優先することになるのではないか。「君が代」は、その言葉の美しさ、曲の重厚さにおいて、素敵であるとは思うけれど、歌詞の内容としては、古今和歌集からのものであるにしろ、天皇の治世が永遠でありますようにという意味に、僕には取れてしまう。天皇制に反対するという立場ではないけれど、現代の我が国における国歌とするには違和感を持ってしまう。国歌とは、僕たち一人ひとりから溢れるような国への思いを声にするものでなければならないはずである。日本は、歴史的に見て、一般的な市民が自治を勝ち取るという明確な経験を持たずに民主主義へと移行したように思う。よって、本当の意味での「私達の国」という意識が希薄なのではないか。反面、日本列島により構成される特徴的な国土を持つために、国というものを認識しやすく、その両面が、国家観を作り出している。結果、国民を繋ぐ精神的な共通性によってというよりも、地形的もしくは、民族としての外見的特徴によって、その共通性を認識している。その危うさも含めて考えるならば、やはり国歌としての君が代の使用は、演奏のみにとどめるのが適切であると思うのだけれど。

近頃、よく布団に入ると、死について考える。死のその瞬間、自分が消えてゆく時のことである。死とおおざっぱに言っても、それは、苦痛としての死、消滅としての死、人間関係の中での死などというように、多くの面を持っていると思う。ここで、僕が最も強く感じるのは、消滅としての死ということになるのだろうか。他者が死を迎える瞬間は、継続する時間の中で認識することが出来るけれど、自分の死は、目を閉じたときから、すべての意味においての消滅であり、それ以降を自分の中で認識することは出来ない、・・・はずである。死は、今生きているという条件の下には、確実にいずれやってくる。それは、誰にも逃れようのないことである。であるならば、死を楽しむためにはどうすればよいのかと考えたりする。きっとそれは、死について考え抜くということではないか。もしかしたら、それが、宗教ということになるのかな。

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2009年6月19日

先輩後輩

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大阪で開催されている矢口清貴さんの個展「魂は廻る―マブイハメグル」を見に行ったあと、集まった人達と食事をご一緒させていただいた。色々な方がいらっしゃって楽しい時間が過ごせたのだけれど、その中になんと同じ高校出身のTさんという方がいらっしゃった。写真の関係で、同窓の方に会うのは、初めての経験である。在籍期間は重ならないのだけれど、何とも懐かしさを感じてしまうのはどうしてだろう。同じ高校のずっと先輩で、今話題になっている日本郵政の社長の話などで盛り上がった。たった3年を同じ場所で過ごしたというだけで、何か昔からの知り合いであるように思えるのはどうしてだろう。きっと、それは人間の持つ仲間を作りたいという本能に起因するのではないだろうか。まあ、それはどうでもいいけれど。ちなみにこの矢口さんの写真展は、八重山を舞台にする作品で、やさしい気持ちになれる素敵なものだった。ご本人もやさしそうな青年で、これからもっと大きくなられることを楽しみに見せていただきたいと思った。大阪ニコンサロンで24日迄です。

銀行の集まりの後に近くのスタバで、アイスコーヒーとクッキー。ウエストコーストっぽい曲を流すボーズも、奈良盆地の生暖かい風に湿って聞える。近頃めっきりこんなふうなのが、気持ちいい。それじゃ、あかんのかなあ。

政府などが出す景気判断は、改善の兆しを指摘しているが、5月頃から回復傾向にあった受注が、ここに来てまたブレーキが掛かり気味である。在庫が減少したことによる一時的な改善が、結局のところは、実需の回復が見られないために、長続きしないというところだろうか。ハイブリッドやインフルエンザ関連の特殊要因による需要は別にして、小売りの指標が内外需とも改善してこない限りは、まだしばらく難しいのかな。

飲酒は、一種のドーピングかもしれない。よって酔った自分を過信してはいけない。素面で漕がなければいけないし、素面で話さなければいけない。それにしても、脳が少し麻痺している状態は心地よい。

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2009年6月17日

この夏

2、3ヶ月前から壊れたままになっていたカーステレオを、さすがに我慢できなくなって新しいものに替えた。イーグルスのCDを入れて、音質調整したけど、ケチったせいか前のものよりも深みがないような気が。それでも、梅雨の合間の透き通るような景色を見ていると音楽っていいなあと思う。きっと、この夏が人生で一番の夏になる若者がたくさんいるんだろうな、といくつかの自分の中にある夏の日を思い出しながら楽しい気持ちになった。

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中間のまとめ

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dekigotoは、この記事までで、1479個の記事をアップしているようだ。ひとつの記事、400文字とすると原稿用紙1479枚分、一般的な本が1ページ600文字ぐらいかなと思うので、約1000ページの本になる。掲載した写真も載せれば、1500ページぐらい。4~5卷ぐらいになるかな、読んでくれる人がいれば・・・。
読んでくれる人ということで言えば、このブログは、検索には引っかからないように設定しているので、あまり不特定多数の人が開くことはない。ということもあり、一番多い頃は、一日平均40人ぐらいの人のアクセスがあったようだけれど、近頃は、20人前後。時々見てくださる人とか入れるとたぶん30人ぐらいの人が付き合ってくださっているのかな。ということは、小学校のクラスぐらいの規模。ネットにおけるブログの普及で世界は格段に広がり、且つ会社でのネットの利用に様々な規制がかかるようになって、何より内容が辛気くさいということもあり、30人が見てくださっていることに感謝する次第である。で、もうちょっと面白いことも書かないといけないかなと思い、過去のアクセス数が増える記事の傾向を調べてみると、詩的な文章をアップしたときが、比較的アクセスが増えるような傾向にあるようで、まあ、解らないけど、ちょっとそういうことも意識しようかなと思うわけである。
「中間のまとめ」なんてタイトルにしたけど、自分のことながら、dekigotoはいったいいつまで続くのだろうか。僕がもし、長生きして90歳まで、今と同じペースで更新したら、今までの10倍ぐらいの記事数になる。ということは、15000記事。15000ページ、40卷ぐらいの全集になってしまう。そして、こんなことしているのは、僕だけではないわけで、世界中でそんなものが、怖ろしくいっぱいできるというわけである。まあ、他人が読んで意味のあるブログが全体のどれくらいあるのか、そんなこと考えれば、徒労かもしれないけれど、でも、人間の歴史の中でも、この個人の情報(?)発信革命は、パピルス以来の大きなトピックスなんじゃないのかな。そうでもないか・・・。

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2009年6月16日

ぎりぎり更新に間に合う

危うく忘れてしまいそうだった免許の更新をぎりぎりで済ませた。今回から、何かよく分からないけど、IC化されたのだそうだ。その理由としての説明は、プライバシーの保護と偽造の防止であるとのこと。ほんとにそれが目的なのかな?、とちょっとこういうことって疑ってしまう。権力による管理の強化なのでは?、そんなふうに。権力を握る側が、管理を強化するのは遠い昔から、効率的な搾取と反乱の防止なのではないだろうか。っていつの時代のことやねとは思うけれど、では、国民主権における権力を握る側とは誰のことなのかといえば、現状において、富める人、立場が上方に位置する人が、その固定化を図るために権力を用いるということになるのかな。
ちょっと関連するかもしれないけれど、犯罪に対する量刑が、昨今重くなっているような気がする。これは、世論(国民主権における主権者の意志なのかどうなのか)の要求に応える形で、そうなってきているのだと思うけれど、これもまた、権力の暴走のようなことに繋がらないだろうか。罪を重くすれば減る犯罪は、限られているような気がするし、また逆に、社会に完全に見放されたと思う人は、そのことをどう受けとめるのだろうか。
話は、免許の更新に戻って、一連の免許センターでの手続きは、無になることを要求される。受付、眼の検査、書類提出、写真撮影、講習という行程をいかに疑問を持たずに担当の人の指示通りに通過するか、それが問われる。「どうして?」なんて、誰かが疑問を挟み出すと、途端に全体の流れが停滞してしまう。でも、どうなのかな、客観視すると変な空間じゃないかな。ちょっと、囚われの身的意識を持ってしまうな。
更新は、誕生日をもとに行われる。ということは、同じ日に来ている人は、生まれた季節が概ね同じ人達ということになる。段取りの良さや騒がしさなどに生まれた季節の特性って現れるのかな。
僕たちの社会は、一元的に見えて、実は見えないラインによって階層化または、グループ化されているような気がする。義務教育終了後には、アトーランダム(義務教育の場も完全にではないけれど)に選ばれた人同士が、同じ空間を共有する機会は意外と少ない。趣味嗜好や様々な置かれている環境によって、自然と近しい環境にある人が同じ空間を共有している。この免許の更新は生まれた季節以外そうではないところが、毎回参加していて面白いなあと感じる。様々な人々が、講習の部屋の狭苦しい机とテーブルの間に身を寄せ合うようにして、免許が再配布される時間を、交通事故現場の悲惨な状態のビデオを見ながら待つわけである。この場が、第一幕の物語って、面白いんじゃないかな。もう、誰か作っているかな。

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2009年6月15日

   を知らない。

使い方を知らない。目的を知らない。場所を知らない。季節を知らない。行き先を知らない。名前を知らない。やさしさを知らない。恋を知らない。愛を知らない。自分を知らない。何も知らない。知らないことを知らない。もう知らない。知りたくない。知ってほしい。何もかも知ってほしいけど、知ってることはそんなに多くなくって、恥ずかしい自分だけ知っている。知っている?小さな声で、「知っている?」、知らなかった知らないことを。恋を知らない。愛を知らない。僕は知らない。ほんとのこと、そう、ほんとは知らない。○○を知らない。
Shiranai、シラナイ、を知らない。


ニホンオオカミを探しに行く。
①ニホンオオカミがどんなものなのかを調べに行く。
②ニホンオオカミが最後に発見された場所に行く。
③ニホンオオカミを探している人に会いに行く。
④ニホンオオカミのいそうな森に行く。
⑤そこで、ニホンオオカミになってみる。
絶滅したと思われているもの、いないと言われているもの、でも、それは確かではない。
探してみる。その過程が大切である。


DM、この色合い、大好きやなあ。この色の自転車が欲しい。

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2009年6月13日

1年ぶりのゴルフ

ほぼ1年ぶりにゴルフをした。104、まあストレスがかからない程度のスコアで、まったく練習場にも行ってないことからすれば、まずまずというところ。10年ほど前、年20~30回ぐらい行ってた時の経験の蓄積でやっているという感じだけれど、下手に練習場に行かない方が、この程度のスコアを前提にするならば、いいのではないかという理論を構築しつつある。練習場に行くと確かにスイングを修正することは出来るかもしれないけれど、「こうでないといけないというスイング」が生まれてしまう。その結果、コースに出て、いろんなシチュエーションで打つときになって、練習場では出来ていたのに、なぜ出来ないのかと迷ってしまうわけである。元々練習してなければ、「こうであるべき」がないわけで、臨機応変に対応できる。これはあくまでも、100前後のスコアにおいて可能なことで、シングルプレーヤーを目指すならば、やはり日頃からの練習は欠かせないのだけれど、まあ、100でまわれれば、そんなに一緒にまわる人に迷惑掛けることもないし、自分もクラブ一杯持って走り回るほどにはならないだろうし、のんびり一日過ごせるでしょう。ということ。志が低いかな。でも何でみんなゴルフ好きなんだろう。遊んでいるという罪悪感が、小さいからかな。それとも、日本人が、歴史の中で構築してきた社会システムに適合するからかな。

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2009年6月12日

学生弓道

こんな画像がYOUTUBEにありました。学生弓道の最高峰、全日の決勝。
前に見える黒い弓道着は、僕らの頃も今も最強の法政、後の白い弓道着は、東北大らしいです。学生弓道は、一般にイメージされる弓道とちょっと違って、的中至上主義の不思議な空間で、きっと彼らは、精神的に半分地獄のような日々を送りながら頑張っていると思うのですが、客観的に見るとちょっとおもしろい。

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2009年6月11日

中島みゆき

ブックオフの105円コーナーで、見つけた「愛が好きです」。
もしかしたら、僕たちの世代には、心の中に中島みゆきの歌が流れている人と松任谷由実の歌が流れている人の2種類がいるのではないだろうか。それは、どちらかのファンであるとかいうことではなく、歌詞の内容、メロディーの特徴という部分で、潜在的に持ち合わせているものがそうではないだろうか。(もちろん、いや俺は、サザンだとか、聖子ちゃんだとか、やっぱりヘビメタだぜということもあるかもしれないけれど、まあ、ここは、そうしておいてください。)それにしても、背表紙の紹介文冒頭、「知りたくありませんか?ナウい別れ方、振られ方-。」。なんて、僕は、そんな時代に高校生だったのかと、あらためて時代の変化に驚いたりする。

昭和57年12月発刊とある。高校の弓道部の同級生で、中島みゆき狂のKというやつがいた。文化祭の打ち上げで、酔っぱらった(コークハイを飲んで・・・今もそのことを思い出して、時々コークハイをたのんでみたくなる)彼は、紙コップをマイク代わりにして赤い顔で、「怜子」を歌った。それが、ちょうど56年か、57年のことだったと思う。彼が好きだったひとつ上の先輩の名前が、字は違うけれど、レイコさんで、彼の高校時代の約半分は、その恋によって成り立っていたように僕には思えた。

歌詞を本にすると、中島みゆきもこの本の中でも触れているように、ちょっと陳腐に感じられることがある。それはきっと、歌というのが、多くの場合、歌詞とメロディー、どちらかといえば、メロディー中心にできているからであり、その制限の中での言葉であるからだと思うのだけれど、それでも、この人の歌詞は、核心をついているというか、情景豊かなものが多い気がする。この本の中に掲載されているものの中でも、メロディーは同時に思い出せないけれど、「トラックに乗せて」「忘れられるものならば」「友情」なんかは、いいなあと思う。

で、僕が歌として印象深いのは、「悪女」。高校時代にもらった別れの手紙に書いてあった『「それでも「悪女」とは違います。』という一文から、当時、何度もこの曲を聴き直して、その意味を考えた思い出深い曲である。好きなのは、「狼になりたい」かな。吉野屋で、ビールを注文したくなるな。あのクリーム色(だったかな)のカウンターに崩れ落ちてゆく人の弱さ(自分の弱さ)が、とても美しいと感じられたりする。

***
週間ブックレビューの紹介で、ちょっといいなと思った本。
橋本治著「橋本治という考え方」

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「青が散る」は、1983年に放映された宮本輝原作のドラマである。僕は、このドラマを見て、大学生活に対する思いを大きく膨らませた。燎平と夏子のような出会いやたくさんの素敵な出来事が起こることを想像していた。実際には、・・・・ドラマ以上に素敵な時を巡り会ったみんなと共に過ごすことが出来た。

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2009年6月10日

景色

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言葉を重ねるということは、生きていくということの同意に近い。両者は、真実と虚実との境界に存在し、まるで海岸線がずっと向こうで地平線に吸い込まれていくように続く。寄せては返す波によって、海岸線がいつも一定でなく動いているように、両者もまた、真実と虚実の間を揺れ動き、その自由曲線こそが、まさに言葉の連なりであり、生きていくということではないだろうか。海岸線の変化する様を愛でるように、僕たちは、両者を愛でるべきである。その境界を明確にしようとする試みは、この場合において、有意義であるとは思えない。

人は、時として景色に涙する。しかし、それは、直接的な景色への感動というよりも、自分のうちにある思いと景色との反応によるものである。景色は、何らかの意図あるものではなく、刺激の役割を果たしているということになる。それでも、人は、ある景色に自分の思いを重ねて記憶するのである。記憶には、その器が必要であり、景色はその役割を果たしていると言えるかもしれない。

原色を選ぶことは、強い意志の表れのようであるけれど、実は思考の拒否とも言える。中間色の選択にこそ、明確な意志が必要になるのではないか。同じように極論を展開することは容易く、中庸を採ることには、勇気が必要である。

人間は、長い時間をかけて作り上げてきた社会のシステムを、新しい自らの意志により、破壊し始めている。それが、自己改革による新世界の構築のための変化であればいいのだけれど、コンピュータの管理する現代において、その影響を無意識のうちに受けているとするならば、SFで語られるようなコンピュータが自分の意志で動き出し、人間を支配するということとは違った形で、人間の危機となるのではないだろうか。と、ある小さなニュースを読んでちょっと思った。

MAN ON WIRE

誰もが、地上400mで綱渡りする必要はないと思うけれど、それぐらい命がけなのが人生なのかな。

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2009年6月 8日

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大学のクラブ100周年誌に対する寄稿になかなか手をつけられないでいたのだけれど、昨晩ふと思った、ブログに書いてみたら、すっと書けるかも。それにブログに掲載されれば、客観視できるかも。ということで。
(極めて私的なことなので、つまらないし、すぐに消すかもしれません、あしからず。6/12ちょっと変えました。)

*****
 この度の弓道部100周年誌発刊にあたり、連絡をいただいてから、原稿になかなか手を着けられず、いつもバッグの中に用紙を入れたままになってしまったのは、「D大の弓道部で過ごした時間が、いったい何であったのか。」という問いを突きつけられたような気がして、20年あまりが過ぎた今も、それをうまく整理することが出来ないでいることに改めて直面したからなのかもしれません。当時の細かな戦績や小さな出来事を今ここに列記することに私は適任ではなく、ただ思い返してみれば、その時間が大きな固まりとなってぐるぐると心の中を動き回っているような気持ちを抱きます。
 84年入部の私たちは、3回生の時に、岩倉の道場から田辺校地の新道場への移転を経験しました。当時は、慣れ親しんだ岩倉道場への名残惜しさとびっくりするくらいに大きな規模の新道場への期待、それに市内を離れることによる様々な部分での環境の変化への不安にみんなが揺れていたことを思い出します。また、それと同時に進行するかのように、戦績も先輩からの教えと優秀な後輩の入部により、みるみるうちに向上し、長い弓道部の歴史の中でもひとつのターニングポイントになった頃であったのだと今になって客観視すれば思われます。
 数年前、そのままの状態で放置されていた岩倉の道場が取り壊されるということを耳にして、もう一度あの姿を心に焼き付けておきたいという思いから訪れたことがあります。というのも、私にとって、岩倉道場の威風堂々とした、それでいて私たちをいつも優しく見守ってくれているような佇まいが、入部した時も卒業した後もD大学体育会弓道部そのものであるように思われたからです。長い年月を越え、雑草が生い茂り、矢道には成長した木がぽつんと立っているという何とも不思議な光景でしたが、道場の建物そのものは、当時と変わることなくそこにあり、少し手を加えれば、十分に使えそうな様子で、86年の秋、念願の一部昇格をはたして、みんなでビールかけをした日、そのみんなの笑顔が、今にも蘇って来そうなそんな気がしました。退部しようと思ったこともあるし、中らなくってくさったこともあるし、失敗をしてみんなに迷惑をかけたこともある。それでも、今となっては、それはもうキラキラと光る宝物のような日々に思われます。
今、フラッシュバックする景色をあげるとするならば、何度も雑巾がけをしたぴかぴか光る道場の床、先輩方がくつろいでいる横を緊張しながら通った控えの間、夜間練習で蛍光灯に照らされるたくさんの部員の熱気、立で番えた矢の向こうに映る白い弓道着の背中、介添え役の位置から見た射位に列ぶ真剣な表情、共用していたラグビー部とスペースを争うようにした的貼り小屋、たからのビーフワン、夏合宿で行った野辺山の一面に広がる野菜畑、コンパであの頃流行ったイッキでみるみる空いていくビールジョッキの輝き・・・。
きっと思い出す景色は、個々それぞれだと思いますが、実はそれらすべてが、先輩から後輩へと引き継ぎ続けられた、人から人への繋がりの上に生まれたものであり、且つ、その繋がりこそが、弓道部で得た最も大きな財産であるということ。そのことは、卒業して、時が経てば経つほどに、大きくなっていく思いではないでしょうか。
 本当に残念ながら、ここに戦績の詳細を挙げるための記憶がなく申し訳ないのですが、それは、別のページにお願いするとして、ここには、同期のみんなを紹介させていただきたいと思います。いつも部のことに心を砕いていた主将、学ランの裏地に刺繍された「弓道命」の文字が懐かしいO君。労せずして的中を重ねたエース、ソアラ号に乗って颯爽と現れる副将のM君。「男の世界だ」が口癖で、エールを斬らせたら誰にも負けない大成寮の住人、副将F君。夏合宿では二十射皆中を達成、たぶんその名は永遠に帝産ロッジに刻まれているはずなのに、その後惜しまれながらも主務に徹したY君。戸惑うことがあると眼鏡の位置を整えて、冷静な一言を発する、でも恋に悩める男、H君。今まで私が会った人の中で一番いい人だと思う、弓道以外のたくさんのことを教えてくれた、後輩から慕われ一派を組織するに至ったT君。関東からやって来て、「ヒンシュクじゃん。」といつも言っていた、移動はロードマンの今はめっきり京都人、I君。体育会委員長に上り詰めた弓道部には珍しいスポーツマン、きっと真剣に弓道やっていたら一番になったであろうハナタレ、N君。真面目に弓道と取り組み、でも裸になった時の筋肉質に驚かされたN君。ちょっと今で言うとお姉系、ひとつ下の後輩を○○○さんと尊敬していた、後に年賀状の結婚報告で奥様の美人さに驚かされたO君。しょうもないことばかり言って、場の空気を和らげていた、部員の物まねを開発するのが得意のN君。女子責任者、男子からも頼られていた、抜群の的中率を誇った可愛い人、Yさん。弓道着が一番似合う極めてクレバーなお姉様、中らないで悩んでいるところも絵になるKさん。円らな瞳で人を惑わし、冷静さを併せ持つ少女、Kさん。そして、痛めた馬手の白い包帯を震わせながらも矢を的に運んだ稀代の射手、Fさん。最後に、諸々の理由により、中途で部を去ることになったけれど、私たちの思い出にはしっかりと残っている友人達、I君、N君、S君、Mさん。それに、大学時代の思い出の大半が弓道部に関することである私。
 ああ、こうやって一人ひとりを思い出そうとすると、白い霧の中から一本の道が現れるように、あの頃への思いがディテイルを伴って鮮明になっていきます。思い返せば、私のまわりでもたくさんのことがありました。1984年の賀茂川事件、同じ年のラッキーの陰謀、岩倉王将だまし討ち事件、1985年のフレッシュの屈辱、1986年三条鴨川の遭難・・・。これらは、部の主流となる出来事とは何ら関係のないことですが、当時の関係者の証言を是非とも聴き直してみたい、今となっては、楽しい思い出です。
 最後になりましたが、(必要以上に・笑)厳しく鍛えて下さったK主将、S主将、H主将をはじめとする先輩方、(からかい半分に・笑)至らぬ僕たちに付いてきてくれた後輩達、それにたくさんのことを教えてくれた修行の器、大きな器としてのD大学体育会弓道部、本当に本当にありがとうございました。100年の節目を慶びで皆さんと一緒に迎えられたことを感謝して、101年目からの弓道部が、より豊かな実りをたわわに結ぶことを祈念して84年度からの寄稿とさせていただきます。

(改行等がおかしいところは、実際の原稿では修正します。) 

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